マーカーは瀬田玉川神社です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左下・「瀬田」左上方向に御嶽社が描かれています。)
瀬田玉川神社
[東急田園都市線二子玉川駅の北、徒歩15分。国分寺崖線の上の高台にあり、通りから急な石段を登った奥に社殿がある。永禄年間(1558~1570年)の創建と伝えられる古社。元禄8年(1695年)瀬田城の城主の長崎氏が拝殿を造営したと伝えられる。明治41年(1908年)に、それまでの御嶽神社という名称から現在名に改称した。境内にはかつて樹齢約700年といわれる赤松があったが、昭和41年(1966年)の台風で倒れ、現在の社殿はそれを契機に昭和43年(1968年)に再建された。例大祭(10月の第3日曜日)では二子玉川の商店街を神輿が練り歩く。 (「東京ガイド – 瀬田玉川神社」より)]
[明治18年に役所に提出した旧社名「御嶽神社」の書類には、その由緒として、「戦国時代の永禄年中(1558~70)に、この村の下屋敷に勧請し、その後、寛永3年(1626)、瀧ヶ谷に長崎四郎右衛門嘉国が寄付をして遷宮した」とあります。また、当社に保存する棟札には、元禄8年(1695)9月、長崎四郎左衛門嘉満、又四郎嘉包が、子孫の長久繁栄を祈願して、拝殿一宇(棟)を造営したと記録されています。明治41年には、在郷の小社数祠を合祀して、同年4月1日従前の御社号、御嶽神社を地名により「玉川神社」と改称しました。大正3年に社殿を改築し、同12年には関東大震災の被害を受けて補修が行われました。昭和41年9月、台風26号の猛襲を受け、境内の樹齢7~800年の東京都指定天然記念物の赤松が惜しくも倒れ、これを契機に社殿並びに社務所の新築に取りかかり、同43年11月に完成を見ました。 (「瀬田玉川神社ホームページ – 瀬田玉川神社について」より)]
カメラ西北西方向が瀬田玉川神社参道です。
瀬田玉川神社拝殿前のカメラです。