烏山寺町

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マーカーは寺町通りです。

烏山寺町
[烏山寺町(からすやまてらまち)は、東京都世田谷区北烏山2丁目(Google Maps)、4丁目(Google Maps)、5丁目(Google Maps)及び6丁目(Google Maps)にかけて26の仏教寺院が立ち並ぶ地域の通称である。寺町の成立は関東大震災後の1923年(大正12年)に浅草築地本所荒川などにあった寺院が集団で移転してきたのが直接的な契機とされるが、関東大震災の前から計画されていた東京の都市基盤の整備とも密接に関わっている。寺院の建築と緑豊かな環境が調和した烏山寺町の一帯は「世田谷の小京都」などと呼ばれ、1984年(昭和59年)には「せたがや百景」に選定された。1975年(昭和50年)には、「烏山寺町の環境を守る会」が結成され、「烏山寺町環境協定」が締結されている。
寺町が形成され始めた頃、千歳村大字烏山の字松葉山付近は人家が少なかった上に地味があまり良くない畑地などが広がっていたが、土地買い上げの値段が通常より2-3倍になったという。寺院と成城学園では、寺院の方が土地を高く買ってくれたため、寺院に売却する地主が続出したとも伝わっている。なお、地主たちは付近の道幅が9尺(約2.73メートル)程度でトラックなども通行できないため、道路拡幅用地を2間(約3.64メートル)分ずつ寄付するので甲州街道に至る道を拡げることと、下水道を整備することの2つの条件を出して交渉をまとめたといわれる。
烏山には1924年(大正13年)から1949年(昭和24年)にかけて、以下のとおり寺院が移転してきた。
●1924年(大正13年) – 浄因寺、源正寺、乗満寺、常栄寺
●1925年(大正14年) – 源良院
●1926年(大正15年) – 善行寺、永願寺
●1927年(昭和2年) – 妙寿寺専光寺妙高寺幸龍寺、称往院
●1928年(昭和3年) – 永隆寺、玄照寺存明寺、妙善寺、萬福寺、入楽寺、常福寺、妙揚寺、順正寺
●1929年(昭和4年) – 宗福寺
●1937年(昭和12年) – 妙祐寺
●1939年(昭和14年) – 西蓮寺、高源院
●1949年(昭和24年) – 多聞院
移転してきた当初、各寺院はバラック建ての仮のものであった。寺町形成の途上では、各寺院の若年の住職たちが率先して街づくりに尽力し、檀家や徒弟、寺院出入りの人々などの協力を得て道普請や樹木の植栽など周辺の整備にあたったという。土地を提供した地主や地元農家の人々も、その動きを支援した。千歳村のはずれにできた寺町は、歳月を過ぎて寺院の建築と緑豊かな環境が調和した風致地区となった[2][10]。烏山寺町の一帯は「世田谷の小京都」などと呼ばれ、1984年(昭和59年)には「烏山寺町」と「烏山の鴨池」(北烏山4丁目、高源院境内)が「せたがや百景」に選定された。
1927年(昭和2年)、烏山寺町の9寺院が参加して「寺院懇話会」が発足し、翌年には「寺院連合会」と改称した。後に「烏山仏教会」となって、2010年(平成22年)の時点では25寺院が参加している。この会は寺町への電灯引込線の設置管理や後から移転してきた寺院への設置割り当て金徴収のために作られた組織であったが、後に親睦会的な性格を強く帯びるようになったため会の意味がないとして脱退した寺院もあったという。ただし、この会の力は宗派を超えて開催される「花まつり」実施のときに発揮される。これは、たとえ宗派が違っても釈迦の教えは1つであるという仏教の思想によって人々を教え導くために始められたものである。
寺町形成が一段落しつつあった1928年(昭和3年)、甲州街道沿いにあった和田住宅を会場として第1回目となる「花まつり」が開催された。釈迦の誕生を祝う烏山寺町の花まつりは4月初旬の恒例行事となり、2014年(平成26年)には84回を迎えている。

寺院一覧  (wikipedia・烏山寺町より)]

カメラ位置は寺町通りです。

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