マーカーは代太橋(代田橋)です。
玉川上水[代太橋(代田橋)]図(右方向「芥溜」右に「代田橋」が描かれています。スクロールしてご覧ください。「東京都立中央図書館 – 玉川上水絵図 」より。)
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「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図右上・甲州街道と玉川御水が描かれ、その交点に代田橋と描かれています。)
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図に代田橋が描かれています。
「東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「豊多摩郡和田堀町全図」[地図右下・羽根木右下、381番地右に代太橋(代田橋)が描かれています。]
代太橋(代田橋)
[京王線代田橋駅付近から笹塚駅付近にかけては、一部区間(3ヶ所)が暗渠化を免れて遺っており、流れはほとんどないものの水を湛えていて、鯉や亀などの姿が見られる。 これは付近の地層から湧出した地下水が流下しているもので、上流の高度処理水よりも水質がよい。
「代田橋駅至近の開渠部。水の匂いから、たいへん清冽な湧き水であることが感じられる」・wikipedia-photo (wikipedia・玉川上水より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「代太橋」(9-21)、「代太橋解説」(9-19)
代太橋(拡大図)
[【代太橋】 青梅街道荻窪の立場より三丁あまり先の方、松原・赤堤・泉廻り・代太等の五箇村入合の辻にありて、曲折する所の道路を横切りて流るる小川に架す。(この所までは道より左に添ひて流る。橋より右に添ひて流れ橋下にて水流左右に替れり。)橋上に土を覆ふ故にその形顕れず。(この橋下を流るゝは多磨川の上水なり。)-代太橋解説]
「豊多摩郡和田堀町全図」及び今昔マップで1896~1909年地図で比較すると、カメラ北北西方向付近に代太橋(代田橋)があったようです。