マーカーは玉川諏訪神社です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左下・「瀬田」の左下方向、多摩川左岸に諏訪社と描かれています。)
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図の「吉澤」下に描かれている鳥居が、玉川諏訪神社です。
玉川諏訪神社
[玉川諏訪神社の創建年代は不詳ですが、世田谷吉良家旧臣で当地の開拓者川辺氏先祖(寛永9年1632年没法名教顕院誓誉浄本居士)が、多摩川大洪水の際に当地に流れ着いた像を神体として勧請したといいます。
●せたがや社寺と史跡による玉川諏訪神社の由緒
諏訪神社(玉川3−26−5)
祭神は建御名方命といわれ、神体は木彫に金箔、濃彩の座像とのみいい伝えられる。創立の年月を伝えず。一説に世田谷吉良家の家臣でこの地の開拓者なる者(川辺氏起立の大先祖寛永9年1632年7月法名教顕院誓誉浄本居士)ある年の夏多摩川大洪水の時、現在地に流れ着いた像を後に至り神体とし、信州の諏訪明神をあがめ勧請したものとのみ伝承されている。この像多摩川上流より流れ着いたので、元の地の方位に向って神祠を西向に建てて祀ったといわれている。現在吉沢に後裔64家栄えており、元は同族の鎮守であった。祭礼は7月27日である。(せたがや社寺と史跡より) (「玉川諏訪神社|世田谷区玉川の神社 – 猫の足あと」より)]
[新二子橋のガ ードに近づくと、沿道左にこじんまりした諏訪神社がある。諏訪神社の境内の 通り側の一角に『筏道』と刻んだ高さ50cmばかりの石標柱が立っている。 多摩堤通りが間違いなく筏師の通った道であることを示している。(諏訪神社の筏道の標石・画像リンク) (「多摩のジョギング道-筏師の歩いた道、狛江・世田谷・田園調布の筏道を行く」より)]
カメラ東方向が玉川諏訪神社参道です。