マーカーは用賀口道標跡です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
「大山道マップ(A3版) (PDF形式 2,966キロバイト)」
用賀口道標
[用賀口道標(弦巻5-16)
用賀方面への大山道と登戸道との分岐点にあった道標。自然石の大きなもので、不動尊の種字の下に大山道とあり、右登戸道と刻んであります。
延喜3年(1746年)に建てられたもので、原物は世田谷区立郷土資料館に移されています。 (「解説3【上町 (旧道) 用賀】 (PDF形式 1,513キロバイト)」より)]
[一般に登戸道は旧矢倉沢往還(大山道)・世田谷新宿の用賀口を起点としています。矢倉沢往還は世田谷代官屋敷のあるボロ市通り(世田谷上宿)を西に抜け、いったん世田谷通りを北側に越えて、すぐ左折して、再び世田谷通りと交差すると、そのまま南西に直進し、用賀へ向かいます。世田谷通りから分かれて、まもなく畳屋の前で右に道が分かれます。ここが世田谷宿のいわゆる用賀口。登戸道の分岐点です。ここにはケヤキの根元に延亨3(1746)年に建立され「右登戸道、左大山道」と刻まれた道標がありましたが、現在は代官屋敷内の郷土資料館に保存され、元の位置には代替碑が立っています((用賀口の追分と郷土資料館にある道標)画像リンク、画像リンク)。 (「登戸道その1 – FC2」より)]
カメラ南南西方向ケヤキ左に用賀口道標の代替碑が立っています。