マーカーは石川台交差点石橋供養碑です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「石川」下方向・相州道との呑川と交差する場所が石橋供養碑が設置されると思われる場所です。]
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図の洗足池左下方向、中原街道と呑川が交差する場所が石橋供養碑が設置されている場所です。
石川台交差点石橋供養碑
[安永3年(1774年)に、石橋の安泰と通行人の安全を祈って、建てられました。石橋供養塔には、他の民間信仰の供養塔を兼ねたものが多く、交通上の安全祈願だけを目的としたこの塔は珍しいものです。 (「大田区ホームページ:石橋供養塔」より)]
[大田区文化財
石橋供養碑
安永三年(1774)に、雪ヶ谷村の浄心ら六名の者が本願主となって、石橋の安泰を祈って建てられた供養塔である。
石橋は現存しないが、呑川を渡って中原街道を通るため、当時すでに石橋がかけられていたことがわかる。
正面に「南無妙法蓮華経」と題目が刻まれ、側面に村内の日蓮宗円長寺の住職日善の署名と花押が刻まれている。このように日蓮宗の色彩を帯びているのは、雪ヶ谷村の寺院がいずれも同宗であったという地域的な特色によるものである。
石橋供養塔は、他の民間信仰供養塔と兼ねたものが多いが、この塔は石橋の無事と通行人の安全という交通安全だけを目的として建てられたものであり、貴重である。
昭和五十一年二月二十五日
大田区教育委員会。 (「呑川緑道・池上梅園コース 約5.0km – 目黒区北部地区 すこやか歩こう会」より)]
カメラ西方向に石橋供養碑があります。
石川台交差点石橋供養碑(Google Map 画像)
石川台交差点石橋供養碑案内板(Google Map 画像)