碑文谷八幡宮

マーカーは碑文谷八幡宮です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「碑文谷」左に八幡社が描かれています。)

碑文谷八幡宮
[創建年代は不詳であるが、鎌倉時代源頼朝の家臣、畠山重忠の守護神をその家臣筋で当地に住んでいた宮野左近という人物が祀ったのが始まりであると言われている。現在の社殿は延宝2年(1674年)に造替したものを明治5年(1872年)に再建し、同20年(1887年)に改築したもの。神仏分離令が出るまで、別当寺として近辺にある円融寺の子院である神宮院が置かれていた。 また神社には畠山重忠の家臣榛沢六郎という人物を祀った稲荷社と「碑文谷」の名の起こりともいわれている、碑文石が保存されている。そのほかにも勝海舟直筆の「八幡大神」の額なども保存されている。また、桜の時期になると一の鳥居から二の鳥居までの間が桜の花で溢れ、桜の見所にもなっていることでも知られている。
参道口・wikipedia-photo

  (wikipedia・碑文谷八幡宮より)]

歴史を訪ねて 「碑文谷(ひもんや)」の起源を探る 目黒区

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「碑文谷 法華寺」(8-5)、「碑文谷八幡宮解説・左ページ中」(8-6)
碑文谷 法華寺(拡大図)

[図会右ページに円融寺(法華寺)、左ページ左端に碑文谷八幡宮が描かれています。]

狂歌江都名所図会 – 碑文谷 円融寺 八幡宮(拡大図)

碑文谷八幡宮 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が碑文谷八幡宮参道です。

カメラ西方向が碑文谷八幡宮拝殿です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*