等々力不動尊明王院

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等々力不動尊明王院
[真言宗智山派寺院の等々力不動尊明王院は、滝轟山と号し、等々力満願寺の別院です。等々力不動尊明王院は、根来寺興教大師が当地に不動堂を建立したと伝えられます。玉川八十八ヶ所霊場33番、関東三十六不動尊霊場17番です。
滝轟山明王院
本尊は不動明王で真言宗智山派に属し満願寺の別院で、寺伝によれば、 1300年前推古天皇の頃、役の行者(役小角〉が霊夢を見、不動尊を彫られた。800年前、和歌山の根来寺の興教大師がある夜夢を見られ「武蔵国調布の丘」に不動尊を祀るよう告げられた。大師は不動尊を背負って、「調布の丘を経巡り、此地に来たり、澤泉を山頭より噴出するを見、併も山頭の辺り瑞雲霊愛雲建す。大師はその霊地なるを悟り、一宇を建立す。」「玉川栞」と、開基が物語られている。本堂は、江戸時代末期の建造である。拝殿は昭和27年、山門は、昭和43年8月、満願寺改築の折移築したものである。寺の南にある公園は、桜の名所として知られているが、玉川村耕地整理の折、村長豊田正治氏の発案の玉川村三公園の一つであって、氏の慧眼がしのばれる。寺の西、石段の途中にある「神変大菩醸」は、役の行者ので行者をまつってある。石段を降りると二条の不動滝があり、今も行者が朝夕白衣を着て滝にうたれている姿を見かける。普は相当な水量があったらしく爆音が轟いたので「トドロキ」の地名が生まれたとの伝説がある。この滝の崖は、上から黒土層、ローム層、含砂利層、粘土層と模式的な地層を示している。この一帯は谷沢川(やざわ川、土地の人はやざ川という) 「等々力渓谷」といわれているが、多摩川東岸の河岸段丘の隆起に先行して浸蝕し横谷を作ったと思われる。環状8号線や、宅地造成によって自然美が随分失われたが、ゴルゴ橋から六郷用水との川の立体交差点、までは東京とは思われぬ渓谷美であり、プロムナードとなっている。また動物植物の宝庫でもあり、つい最近までここで、狐を見たという人がある。谷沢川の上流の姫滝には、悲恋の伝説があったが、その滝は今はない。場所は野良田(世田谷区中町)である。(せたがや社寺と史跡より)  (「猫のあしあと – 等々力不動尊明王院」より)]

等々力不動尊明王院山門・wikipedia-photo

等々力不動尊の拝殿・wikipedia-photo

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等々力不動尊明王院ホームページ

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左下・「等々力」左に不動尊が描かれています。)

等々力不動尊 – Google Map 画像リンク」、「神変大菩薩堂 – Google Map 画像リンク」、「稚児大師御影堂 – Google Map 画像リンク」、「等々力渓谷横穴墓群三号横穴 – Google Map 画像リンク」、「地蔵堂 – Google Map 画像リンク」、「等々力渓谷公園 – Google Map 画像リンク

等々力不動尊明王院山門前のストリートビューです。

等々力不動尊明王院本堂前のストリートビューです。

等々力渓谷(谷沢川)のストリートビューです。

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