菅原神社

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マーカーは菅原神社です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央上・「松原」上方向に天神と描かれています。前の通りが菅原天神通りで、その右が松原大山通りです。)

菅原神社
[菅原神社は、寛文五年(1665)江戸石井兵助が建立したと考えられています。松原地域の鎮守社として崇敬を集め、明治期には村社に列格していました。
●せたがや社寺と史跡による菅原神社の由緒
菅原道真を祭る。もと天満宮といったが、明治7年菅原神社とあらためた。
社伝に関するものは一切失われているので、創建はいつ頃のことか判明しないが、社殿に向って左の傍に高さ1m程の石碑がある。それによると正面に「南無天満天自在天神、寛文五年(1665)願望主建立、生国武州江戸石井兵助」とある。これによってみれば、この菅原神社は少くも約300年前江戸の人、石井兵助なるものによって建立されたものと見るべきであろう。
松原地域の鎮守で現社殿は昭和41年の修築で鉄筋コソクリートの立派な建物である。
前記石碑の傍に力石が4箇横たわっている。大小さまざまであるが、いずれも丸味をおびた細長い石で、石の表面に奉納と記し、真中に重量〔重いのは56貫(210kg)、軽くても33貫(123.7kg)〕と記してある。そのかたわらに年月日「安政四年(1857)明治十八年」などを記し、奉納者、つまりその石をもちあげた力者の名が記してある。
昔は、農家の休日には、若者達が鎮守の境内に集り、このような石をもちあげて力くらべをして、互に自己の力量をほこりあい、その石を神社に奉納したものである。今でいう重量あげであるが、今はこういう風習もすっかり廃れてしまっている。
又境内の鳥居の左手に絵馬所がある。10数枚の額や絵馬が周壁にかかげられているが、明治37、8年戦役の戦利品(大砲のケース、小エンピなど)が額にはめこめられてかかげてある。(せたがや社寺と史跡より)
新編武蔵風土記稿による菅原神社の由緒
(松原村)天神社
村の北へよりてあり、勧請の年月はつまびらかならず。(新編武蔵風土記稿より)  (「菅原神社|世田谷区松原の神社、旧村社 – 猫の足あと」より)]

せたがや百景 No.33 松原の菅原神社 <世田谷散策記>」、「東京世田谷・松原菅原神社 満開の御朱印 – てらたび

菅原神社 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が菅原神社参道です。

菅原神社拝殿前のカメラです。

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