マーカーは金蔵院です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「衾」上方向に金蔵院が描かれています。]
「東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「最新交通指導地図荏原郡碑衾町」[地図左グリーンエリアの39番が金蔵院です。]
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で府立高等の左下の「卍」が金蔵院です。
金蔵院
[金蔵院は、慶長5年(1600)頃に頼栄上人が創建、明治7年に一旦廃寺となったものの明治14年には再興されたといいます。
●目黒区教育委員会掲示による金蔵院の縁起
金蔵院
氷川山虚空蔵寺金蔵院は真言宗の寺で、慶長5年(1600)頃に頼栄上人によって創建されたと伝えられています。古い記録としては享保年間(1716-1736)に俊海法師が本堂を建て直したことが残っています。もとは隣接の八雲氷川神社の別当寺で、明治7年(1874)に一旦は無住廃寺となりましたが、明治16年に再興され、玉川八十八ヶ所霊場の第53番札所になっています。
本尊の大日如来像と脇侍の「木造不動明王及び両童子立像」(区指定有形文化財)が本堂に安置されています。不動明王像は寄木造で像高74.5cm、足元には各々岩座に立った白色の矜羯羅童子と赤色の制吨迦童子を従えています。
不動明王像の頭部内から発見された11枚の文書により、像の作者は不明ながら、応仁2年(1468)に大和国山辺郡・広瀬郡のあたりで造立されたことや、造立の目的などが明らかとなりました。
明治4年、境内の建物を使用して目黒区内で初めての学校が創立されました。この学校は後の目黒区立八雲小学校(八雲小学校としての創立は明治7年)で、目黒区で一番古い小学校の誕生の地でもあります。(目黒区教育委員会掲示より)
●新編武蔵風土記稿による金蔵院の縁起
(八雲氷川神社の)別当金蔵院
本社の右の法なり。新義真言宗にて、等々力村満願寺の末なり。本堂6間に5間、本尊不動明王長3尺の木像を安置す。(新編武蔵風土記稿より) (「金蔵院|目黒区八雲にある真言宗智山派寺院 – 猫の足あと」より)]
カメラ北方向が金蔵院参道です。