長円寺

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マーカーは長円寺です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図左中央付近・「岡本」右に長円寺が描かれています。)

長円寺
[長円寺の創建年代は不詳ですが、元禄年間(1688-1703)八幡下から当地へ移転、快誉(元文3年1738年寂)が中興したといいます。
●せたがや社寺と史跡による長円寺の縁起
長円寺(岡本1−20−1)
岡本山安養院長円寺,新義真言宗智山派満願寺末,本尊大日如来,木彫坐像。開山,開基は寺伝が失われてわからないが中興開基快誉は元文3年(1738)11月17日に寂している。
現在の堂宇昭和41年5月の建築になる。
境内に門人らが建てた榎本金六の墓がある。金六は筑後(福岡県久留米藩の関流六伝藤田閑海の門人で和算の塾を聞き多くの門人を指導した。彼に学んだものはかなり広範囲で,横根村瀬田村用賀村喜多見村大蔵村経堂村奥沢村等々力村鎌田村等世田谷南西部9ケ村に及んでいる。法名春峰道悦信士弘化2年(1845) 1月8日に没している。堂宇内に岡本村信者の寄附した元禄4年6月29日銘の小梵鐘がある。高さ54cm直経34cmせ(たがや社寺と史跡より)
●新編武蔵風土記稿による長円寺の縁起
(岡本村)長圓寺
除地、二段五畝、字中原にあり、真言宗新義、荏原郡等々力村満願寺の末、岡本山と称す、安養院と號す、客殿七間に五間東向なり、本尊弥陀木の坐像長一尺三寸なるを安す。開山開基の名もいつの比か寺傳を失ひたれば、今より知るべからず、中興開基は快誉此人元文三年十一月十七日寂す、當寺は元小庵にて八幡宮の坂下にありしを、元禄年中妙榮尼の事により、荏原郡碑文谷村法華寺(註:現円融寺)住僧御咎めありし頃、近郷の人々改宗して檀家となり、此地へ移せり山号寺号も其頃より唱へしと云へり。さだかなることは今より知るべからず。
辨天祠。門を入て右にあり、木の坐像長一尺三寸、祠も僅九尺四方。
天神祠。門を入って左にあり、木の坐像長一尺許。(新編武蔵風土記より)  (「長円寺|世田谷区岡本にある真言宗智山派寺院 – 猫の足あと」より)]

カメラ西南西方向が長円寺です。

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