マーカーは五分一橋跡案内板です。
「国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図北向き中央右下・光福寺左上、元佐倉道中に五分一ハシが描かれています。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、千葉街道に五分一橋跡が描かれています。
五分一橋跡
[所在地 江戸川区松島2-18
ここに五分一橋がありました。
江戸時代から既に架けられていたようですが、建設年代は特定できていません。
この地は、江戸と下総佐倉を結ぶ元佐倉道の要衝にあり、逆井の渡しと小岩の渡しをいきかう旅人で、古くから賑わっていたようです。
昭和5年(1930)に、五分一橋は鉄筋コンクリートの橋に架け替えられました。人馬がいきかう時代から自動車の時代まで、長く人びとの往来を支えつづけてきた橋です。
昭和57年(1982)に、南北を流れていた川が埋め立てられると、川に架かっていた五分一橋の使命も終わりを迎えることとなりました。
平成14年(2002)3月 江戸川区教育委員会 (「東京都江戸川区の歴史 五分一橋跡」より)]
カメラ北西方向に五分一橋の親柱がモニュメントとして残され、その傍に案内板があります。