光ヶ嶽(てるがたけ)観音堂

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マーカーは光ヶ嶽(てるがたけ)観音堂です。

国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図を北向きにして、中央右・小岩下方向、十念寺右で佐倉道中右に光ヶ嶽(てるがたけ)観音堂があることになります。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、小岩田左の「卍」が光ヶ嶽(てるがたけ)観音堂です。

光ヶ嶽(てるがたけ)観音堂
[所在地 江戸川区北小岩4-27
 正真寺境外仏堂の観音堂は 光ヶ嶽観音堂(てるがたけかんのんどう)と号し弘法大師の大曼荼羅戒壇前にて鋳造された小金像をお祀りしています。
 光ヶ嶽観音は一寸八分(約6cm)ほどですが室町時代末期の武将里見義豊 義俊の守り本尊で常に甲冑に収め戦場に赴いたと伝えられております。
 その後 観音像は千福寺(現存せず)に安置されましたが里見家子孫に至って供養を怠ったところ文禄元年(1592)地元の沖田家祖先豊前の枕元で大きな音が響き驚いた豊前が跳び起きると観音像が立っていたといいます。
 翌朝豊前が千福寺に詣でるとそこに観音像はなく 豊前は屋敷内にお堂を建立以来 観音像は江戸 明治 大正 昭和 平成と通じて北小岩の信仰となったものです。 地元の由緒ある文化財といえるでしょう。
 また勝手のお堂は火災 戦災で被害を受けた人たちに貸し出されたりお年寄りの集い踊りの稽古場にも利用され馴染み深い観音堂なのです。
 地元の皆様のご協力を得て堂宇再建の機にその由来を記す。
 平成19年(2007)8月吉日
 正真寺住職 田嶋信雄 世話人一同  (「東京都江戸川区の歴史 光ヶ嶽観音堂(てるがたけかんのんどう)」より)]

光ヶ嶽観音堂 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が光ヶ嶽観音堂です。

光ヶ嶽観音堂前のカメラです。

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