勝曼寺

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マーカーは勝曼寺です。

江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、四つ切右下・「新堀」左上に勝曼寺と御膳所が描かれています。)

勝曼寺
[勝曼寺は、大勝寺の住僧善誉房専芸和尚(元和10年1624年寂)が当地に止宿、藪崎隼人、山崎甚太郎らの協力を得て、豊明寺と号して創建したといいます。秀翁和尚が元禄年間に(1688-1704)に中興、将軍鷹狩りの際の御前所としても利用されていたといいます。
●江戸川区教育委員会掲示による勝曼寺の縁起
勝曼寺は真言宗豊山派で、もとは正福寺葛飾区)の末。九品山山王院と号し、山王権現(現在の新堀日枝神社)の別当をつとめた。約360年ほど前、奥州相馬庄大勝寺の住僧善誉房専芸和尚がこの地に来住し、藪崎隼人、山崎甚太郎らの協力を得て、この寺を建てたという。その後、当寺は一時荒廃したが、元禄の頃(1688-1704)秀翁和尚によって中興された。 本寺は将軍鷹狩りのときに何度か御前所にあてられている。(江戸川区教育委員会掲示より)
●江戸川区教育委員会掲示による勝曼寺の縁起
勝曼寺(一之江一丁目九番地七号)
真言宗豊山派でもとは正福寺の末、九品山山王院と号し、約三六〇年前、奥州相馬荘大勝寺の住僧善誉房専芸和尚がこの地に来住し、藪崎隼人、山崎甚太郎らの協力を得て、念仏修業の庵を結び豊明寺と称したのが始まりである。専芸和尚は十余年の間村民の教化につとめたが、元和十年正月十七日病歿したので、藪崎氏等の篤信者がその菩提のために同年三月阿弥陀如来の木像を寄進した。これが今に伝わる本尊で、胎内から発見された文書によってその由来が明らかになった。
その後当寺は一時荒廃したが、元禄の頃秀翁和尚等によって中興され、将軍鷹狩の時には幾か御膳所にあてられた。近くの山王権現の別当をつとめたので山王院の山号となる。(江戸川区教育委員会掲示より)  (「勝曼寺|江戸川区新堀にある真言宗豊山派寺院 – 猫の足あと」より)]

カメラ北西方向が勝曼寺参道です。

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