善養寺(影向の松)

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マーカーは善養寺です。

江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、四つ切右下・江戸川左、「下小岩」上に描かれているのが善養寺と思います。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、江戸川の左、下小岩の右下に善養寺が描かれています。

善養寺
[善養寺(ぜんようじ)は、東京都江戸川区東小岩にある寺院。真言宗豊山派に属し、大永7年(1527年)の創建と伝わる。末寺130余りを擁する中本寺格の寺院であり、「小岩不動尊」の別名でも知られている。境内に生育する国の天然記念物影向のマツ」は、香川県の「岡野マツ」との日本一争いで名高い。このマツの他に、「天明3年浅間山噴火横死者供養碑」などの文化財を所有している。境内では3月末に植木市、5月下旬にバラ・サツキ展、10月末から11月初めに菊花展が開催され、多くの人を集めている。「影向のマツ」のエピソードや「式守伊三郎報恩碑」など、大相撲と縁の深い寺でもある。
歴史
善養寺は江戸川近くに位置し、星住山地蔵院(せいじゅうざんじぞういん)と号する。寺の伝えるところによると、山城国醍醐山の頼澄法印という僧が、夢告に従って大永7年(1527年)にこの地に至り、不動明王を祀ったのが始まりという。室町時代後期の連歌師柴家軒宗長永正6年(1509年)に著した紀行文『東路のつと』にこの寺に関する記述があるため、実際の開山はこれより遡るものと推定される。江戸時代の文化・文政期に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』では、善養寺について「新義真言宗、山城国醍醐報恩院末、星住山と号す」と記述している。「星住山」という山号のいわれは、境内にかつて生育していた「星降りマツ」(ほしくだりマツ)に由来する。その昔、星の精霊がこのマツの梢に降り立ち、やがて赤青黄の石に姿を変じた。その石は「星精舎利」(せいせいしゃり)と呼ばれて寺の宝とされたが、いつのころからか赤と黄の石は紛失して青い石のみが残った。この出来事から山号を取って「星住山」としたという。なお、星降りマツは昭和15年(1940年)に枯死し、その後2代目が植えられた。慶安元年(1648年)9月に、徳川将軍家から寺領10石の朱印状を拝領し、賢融法印(慶安4年寂)が中興した。このころの善養寺は、下小岩村の密蔵院や東養寺、船堀村の光明寺、東宇喜田村の真蔵院など130余りの末寺を擁し、真言宗豊山派の中本寺格として知られた。
善養寺の名が広く報道されたのは、昭和54年(1979年)頃から昭和55年(1980年)にかけて起こった「日本一のマツ争い」だった。境内に生育する「影向のマツ」と香川県大川郡志度町(2002年4月1日に他の4町と合併してさぬき市となる)の真覚寺境内に生育していた「岡野マツ」は、双方とも「わがマツこそ日本一の名木」と譲らず、1年余りにわたって論争が続いていた。その争いを見かねた大相撲立行司木村庄之助が仲裁に入り、「どちらも日本一につき、双方引き分け」と裁いた。地元小岩の出身で、当時日本相撲協会の理事長を務めていた春日野親方も「双方を東西の横綱に推挙する」と庄之助の裁きを後押しし、二人の計らいによって「日本一のマツ争い」は無事に解決を見た。影向のマツは、「2011年9月21日に国の天然記念物に指定されている。
善養寺境内に生育する影向のマツ(2010年12月)」・wikipedia-photo  (wikipedia・善養寺_(江戸川区)より)]

[小岩不動尊逆井道向石造道標、小岩不動尊市川向石造道標
現在は善養寺参道脇にありますが、かつては善養寺の小岩不動尊への道標としていずれかの往来に建てられていたものでしょう。一方は小岩不動尊を経て逆井の渡し方面に通り抜けできることを示し、一方は市川への通り抜けができることを示しています。元佐倉道(千葉街道)あたりにあったものでしょうか。正面には「小岩不動尊、是より南江三丁、逆井道江通りぬけ」と刻まれています。
●江戸川区登録有形文化財・歴史資料
●東小岩2丁目24番2号 善養寺
●昭和58年3月15日 告示  (「小岩不動尊逆井道向石造道標、小岩不動尊市川向石造道標 江戸川区 ..」より)]

[天明三年浅間山噴火横死者供養碑
善養寺の不動門の前に建てられています。
天明3年(1783)7月6日から8日にかけて起きた浅間山の大爆発で犠牲になった人馬の遺体がたくさん江戸川を流れ下り漂着しました。下小岩村の人びとはこれを手厚く葬り、寛政7年(1795)の13回忌にこの碑を建てました。浅間山噴火のすざましさと下小岩村の人々の温かい心情を伝えています。
大きさは高さ115センチメートル、幅33センチメートル、厚さ21センチメートル。
●東京都指定有形文化財・金石文
●江戸川区登録有形文化財・歴史資料
●東小岩2丁目24番2号 善養寺
●昭和56年1月13日 告示  (「天明三年浅間山噴火横死者供養碑 江戸川区 文化財・史跡」より)]

78 繁茂面積日本一 善養寺影向の松 江戸川区公式ホームページ

善養寺 – 東京都江戸川区 – 天然記念物の大松が茂る寺 – 小岩駅18分 …」、「善養寺の影向の松 – 巨樹と花のページ

善養寺(小岩不動尊) – Google Map 画像リンク」、「善養寺影向のマツ – Google Map 画像リンク

善養寺表参道のカメラです。

善養寺仁王門前のカメラです。

カメラ北東方向が善養寺西門です。

善養寺本堂前・「影向のマツ」鳥瞰のカメラです。

「影向のマツ」前のカメラです。

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