城立寺(椿寺)

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マーカーは城立寺です。

国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図を北向きにして、絵図四つ切右下に一之江新田が描かれています、その付近に城立寺があることになります。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、一之江新田の下の「卍」が城立寺です。

城立寺
[城立寺(じょうりゅうじ)は、東京都江戸川区春江町にある日蓮宗の寺院。別名椿寺、山号は本高山。旧本山は平賀本土寺、奠師法縁(奠統会)。伝伝教大師最澄作の鬼子母神像を祀る。
歴史
元和2年(1616年)善立院日年(寛文7年没)が開山、田嶋図書(一之江新田を開拓。正善院日慶、寛永20年没)が開基。
文化財等
●田島図書の墓 江戸川区登録史跡。
●石造釈迦如来坐像 田島八郎兵衛尉重信が祖先の菩提供養と衆生利益のため寛永3年(1663年)に寄進したもので江戸川区登録有形文化財。
四脚門 元文元年(1736年)の建立であるが簡素ながら江戸時代初期の様式を示す。
鐘楼 梵鐘元禄7年藤原正次の鋳造で田島伝左衛門が寄進したものであったが太平洋戦争金属供出で失われた。  (wikipedia・城立寺_(江戸川区)より)]

[田島図書の墓
田島図書は、もと豊臣家の家臣で堀田図書英丈と名乗ったと伝えられています。関が原合戦のあと、西一之江村大杉の田島庄兵衛方に寄寓し、田島図書と改名しました。慶長11年(1606)のことであったといわれています。
図書は、一之江新田を開発しました。城立寺は、寛永5年(1628)10月に一族の甲冑を埋めて私領を寄進して創建したといわれています。寛永20年(1643)12月25日没、法名を「正善院日慶」といい、墓石は石造釈迦如来坐像の右奥にあります。背面に、33回忌供養の追刻があります。
●江戸川区登録史跡
春江町2丁目39番28号  城立寺
昭和56年1月13日 告示  (「田島図書の墓 江戸川区 文化財・史跡」より)]

城立寺(じょうりゅうじ) 江戸川区公式ホームページ – 江戸川区役所

城立寺|江戸川区春江町にある日蓮宗寺院 – 猫の足あと

本高山城立寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が城立寺参道です。

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