安養寺

マーカーは安養寺です。

江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、中央下方向・「中川」右、「中平井」左に安養寺が描かれています。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、中平井の下の「卍」が安養寺です。

安養寺
[安養寺は、源理法印(貞享元年1684年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による安養寺の縁起
(中平井村)安養寺
新義真言宗、上小松村正福寺末、青龍山安全院と称す。本尊阿弥陀。開山源理寂年を傳へず。法流の祖を賢意と云、貞享元年12月21日寂す。(新編武蔵風土記稿より)
●「江戸川区史」による安養寺の縁起
安養寺(平井六丁目五三番一号)
真言宗豊山派、もと正福寺の末。清竜山安全院と号し、開山は源理法印といわれるが詳細は不明である。法流の祖は賢意法印で貞享元年に入寂した。本尊は阿弥陀如来立像である。
門前に遍照講の建立した弘法大師と筆太に刻まれた石柱が目につく。門を入って左手の小堀をめぐらした中に弁天堂がある。これはもと上野不忍池のほとりに住んでいた或る商人に、弁天様が夢枕にたって、平井の地に弁財天をまつるようにとのお告げがあったので、明治十七八年頃お堂が建てられた。終戦後からこの弁財天に息災を祈願して、大般若経六百巻の転読があり、多数の壇信徒が集まって節分護摩豆まき会が行なわれている。山門は安永七年円覚上人の代の建築である。(「江戸川区史」より)  (「安養寺|江戸川区平井にある真言宗豊山派寺院 – 猫の足あと」より)]

石造地蔵菩薩立像念仏供養塔
[総高147センチメートル。寛文7年(1667)の年紀をもつ石造地蔵菩薩立像で、区内では古いもののひとつです。本体正面に「于寛文七丁未年 逆修、奉成立念仏講為結衆男女八十人菩提也」と刻まれており、江戸時代初期に、ここに念仏講が組織されていたことがわかります。台座には講員と思われる人びとの名前も刻まれています。
安養寺飛び墓地の会館(地蔵堂)側面の木造の小祠内にまつられていますが、1978年の会館改築以前は、会館の中にまつられていたそうです。安養寺の念仏講(江戸川区登録有形民俗文化財・風俗慣習)は、現在もその習俗を伝えています。
●江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料
●平井6丁目53番1号 安養寺
●平成元年2月28日 告示  (「石造地蔵菩薩立像念仏供養塔 江戸川区 文化財・史跡」より)]

安養寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が安養寺総門です。