寿昌院(松本弁天・臥竜の松)

マーカーは寿昌院です。

江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、四つ切右下・「元佐倉道中」右、「松木」下に弁才天が描かれています。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、千葉街道と中井堀が交差する菅原大橋の右下方向に鳥居が描かれ、そのが松本弁天です。

寿昌院(松本弁天・臥竜の松)
[寿昌院は、寿昌院桂月元皎禅尼(貞享元年1684年寂)が開基となり、寛文年間(1661-1673)に草創、その後天海道竜和尚が開山となり、江島山寿昌院と称したしたといいます。明治39年には本所小梅町の梅林庵を合併したといいます。
●江戸川区教育委員会掲示による寿昌院の縁起
黄檗宗で、貞享元年(1684)に、寿昌院桂月元皎禅尼が開基しました。草創は寛文年間といわれ、禅尼が小庵を結び、病気全快を祈願して弁財天を祀ったのがはじまりです。
本尊には、禅尼作の千手観音像(寛文9年作、1669)がまつられています。また、境内の弁天堂にちなんで、松本弁天とも呼ばれています。(江戸川区教育委員会より)
●新編武蔵風土記稿による寿昌院の縁起
(松本村)弁天社
毘沙門大黒二天の像を合祀す。境内に庵あり寿昌庵と号す。江戸深川海福寺持の本尊釈迦を安ず。社に向ひ左方に老松三株並び立り。共に高さ十五間許。中の松樹地上3尺許より西へ指る大枝ありて、それより左右へ廣がれること凡9間余に及へり。いとめつらかなる木なれば、其図を右に出せる境内図に載たり。(新編武蔵風土記稿より)  (「寿昌院|江戸川区松本にある黄檗宗寺院、松本弁天・臥竜の松 – 猫の足あと」より)]

34 樹齢500年 松本弁天臥竜の松 江戸川区公式ホームページ

寿昌院 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が寿昌院山門です。