昇覚寺

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マーカーは昇覚寺です。

江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、四つ切右下・「東宇喜多」付近に昇覚寺があることになります。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、東宇喜多右に昇覚寺が描かれています。

昇覚寺
[昇覚寺は、僧邵値(寛文12年1672年寂)が開山となり創建したといいます。
●新編武蔵風土記稿による昇覚寺の縁起
新義真言宗紀伊国高野山無量寿院末。本寺は古義なれど当寺は新義なり。無量寿山遍照智院と号す。開山邵値、寛文12年3月8日化す。本尊阿弥陀、長1尺8寸、立像にて行基の作なり。
大黒天弁天毘沙門天合社。
鐘楼、天明5年再鋳の鐘を掛。(新編武蔵風土記稿より)
●江戸川区教育委員会掲示による昇覚寺の縁起
真言宗豊山派で無量寿山照智院と号します。本尊は木造阿弥陀如来立像で名僧行基の作と伝えられています。(江戸川区教育委員会掲示より)  (「昇覚寺|江戸川区東葛西にある真言宗豊山派寺院 – 猫の足あと」より)]

昇覚寺鐘楼
[天明年間(1781から1789)の建立で、江戸時代中期の建築様式をよく伝える鐘楼です。
昭和59年(1984)におこなわれた解体修理で、地下部分から「そろばん地業」とよばれる低湿地帯特有の基礎が発見されました。桁行三間、梁行二間、二層の袴腰付鐘楼で、屋根は土葺きによる桟瓦葺入母屋造りになっています。各部の意匠も江戸時代中期の様式をよく伝えるもので、昭和59年から1年間にわたって解体修理がおこなわれました。そのとき礎石下に発見された基礎「そろばん地業」も低湿地帯特有の基礎工法として注目されます。
梵鐘は天明5年(1785)に、東宇喜田村男女230人をはじめとする十八ヵ村千数百人の喜捨によって鋳造されました。  (「昇覚寺鐘楼:江戸川区公式ホームページ」より)]

63 江戸の鐘 昇覚寺の鐘楼 江戸川区公式ホームページ

昇覚寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が昇覚寺で、山門右に鐘楼があります。

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