東井堀(西之橋)跡

マーカーは東井堀(西之橋)跡です。

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国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図を北向きにして、絵図四つ切右下・鹿骨の左上の橋が西之橋が、江戸時代の橋名が記述されていますが、読めません。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、鹿骨左の東井堀と東西に延びる道との交点に西之橋があります。

[鹿骨(ししぼね)地名の由来
奈良時代(8世紀)、藤原氏によって奈良春日大社の創建に際し、常陸鹿島神宮から分霊されたが、その際に多くの神鹿を引き連れておよそ1年かけて奈良まで行ったと言い伝えられており、その途中、鹿が死んだためこの地に葬った。これが「鹿骨」の地名の由来とされる。  (wikipedia・鹿骨より)]

[河原道
江戸川の対岸、下総国河原村へ渡る河原の渡しが下篠崎村にありました。区内にはこの河原の渡しへ至る道がいくつかありました。元佐倉道から松本村を通る道と、行徳道から西一之江谷河内(やごうち)を通っていく道が代表的なものです。両道の分岐点にはそれぞれ河原道を示す道標がありました。  (「江戸時代の道 – 江戸川区」より)]

カメラ南南東方向、北方向に東井堀が流れていました。交差する道路は河原渡場への古道河原道で現在は鹿骨街道と称しています。