法蓮寺

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マーカーは法蓮寺です。

国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図を北向きにして、絵図四つ切右下、西宇喜田に法蓮寺があることになります。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、葛西村左に法蓮寺が描かれています。

法蓮寺
[浄土宗寺院の法蓮寺は、華光山厳池院と号します。法蓮寺は、宇喜田新田の開拓者宇田川喜兵衛定氏(法名厳知院花光蓮)の子定次が、亡父追悼のため宇田川喜兵衛定氏の隠居屋敷の当地に寛永3年(1626)創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による法蓮寺の縁起
(西宇喜田村)法蓮寺
浄土宗、東小松川村源法寺末。花光山厳知院と号す。当寺境内は開基法蓮が屋敷の蹟なりと云。本尊阿弥陀、長2尺1寸5分、聖徳太子の作。開山桑蓮社真誉、慶長3年遷化。開基は宇田川喜兵衛、法名厳知院花光蓮、元和3年6月25日死す。源法寺の傳ふる処法謚及び卒年異同あり。
太子堂。(新編武蔵風土記稿より)
●江戸川区教育委員会掲示による法蓮寺の縁起
法蓮寺
浄土宗で、華光山厳池院と号し、東小松川源法寺の末でした。本尊は二尺一寸五分の阿弥陀如来で、聖徳太子の作と伝えられています。宇喜田新田の開拓者宇田川喜兵衛定氏の子定次が、亡父追悼のため寛永三年(1626)にその隠居屋敷の地に一寺を建てたのが、当寺の始まりだといわれています。
宇田川喜兵衛定氏は、天文二年(1533)品川に生まれ、弘治元年(1555)に小松川村に移りました。慶長元年(1596)葛西浦の芦原三千石の地を開拓して、宇喜新田(宇田川喜兵衛の新田)と名づけました。その功労で将軍から上田一町五反を賜り、その後、入道して法蓮と号し、この地に隠居して、元和六年(1620)に没しました。(江戸川区教育委員会掲示より)
●「江戸川区の文化財」による法蓮寺の縁起
浄土宗で、事光山厳池院と号し、本尊は2尺1寸5分の阿弥陀如来で聖徳太子の作と伝えられている。宇喜新田の開拓者字田川喜兵衛定氏の子定次が、亡父追悼のため寛永3年(1626)にその隠居屋敷の地に一寺を建てたのが当寺の始まりだという。
宇田川喜兵衛定氏は、天文2年(1533〉品川に生まれた。弘治元年(1555)小松川村に移り、慶長元年(1596)葛西浦の芦原三千石の地を開拓して宇喜新田(宇田川喜兵衛の新田)と名づけたののちその功労によって将軍から上田1町5反を賜わった。その後入道して法蓮と号し、この地に隠居し元和6年(1615)6月25日に没した。(江戸川区教育委員会掲示より)  (「法蓮寺|江戸川区北葛西にある浄土宗寺院 – 猫の足あと」より)]

法蓮寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が法蓮寺参道です。

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