篠崎浅間神社

マーカーは篠崎浅間神社です。

江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、四つ切右下・江戸川左、「上篠崎」と「笹崎」の間に浅間社が描かれています。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、篠崎村右に浅間神社と描かれています。

篠崎浅間神社
[篠崎浅間神社(しのざきせんげんじんじゃ)は東京都江戸川区上篠崎にある神社である。浅間神社の1つ。当社は天慶元年(938)5月15日に創建された江戸川区内でもっとも古い神社である。承平2年(932)に下総国弥山からこの地に移住してきた弥山左那比神人(ややまさなひしんと)が初代宮司として仕えた。 天慶3年(940)、平将門が関東において威をとなえると、平貞盛が乱を鎮めるために派遣された。貞盛は将門が降伏するように祈願し、当社に霧島神社を祀り、金幣(きんぺい)と弓矢を献じて武運を祈った。当社には、村上天皇(946〜967)の御守剣、後花園天皇(1428〜1464)の連歌などの宝物が納められており、平安時代鎌倉時代より当社の崇敬がことのほか篤かったことがうかがえる。 江戸時代に入ると、江戸や近郷からの参詣者が増え講社も組織されたという。明治時代に入り、江戸川区の神社で唯一郷社になった。以降、明治から昭和にかけても熾仁親王の神額、三條内大臣藤原朝臣の神額、犬養毅元総理の額などが奉納されるなど、多くの篤い崇敬が寄せられた。また現在では隣接して、浅間幼稚園がある。
篠崎浅間神社・wikipedia-photo  (wikipedia・篠崎浅間神社より)]

[浅間神社の富士講碑
江戸富士信仰の中心的存在であった元祖食行身禄の供養碑で、没後100年余を経た天保11年(1840)その信者たちによって建てられました。上部に富士山の図、その両側に瑞雲にのった日輪と月輪が描かれ、中央に「元祖食行身縁価」(縁は禄が正しい)と刻まれ、下部に線刻の三猿があります。
食行身禄(1671~1733)は伊勢の商人で、伊藤伊兵衛と称していました。江戸にでて熱心な富士信仰信者となり、厳しい修行を重ねて富士信仰身禄派の基礎をつくりました。
●江戸川区登録有形文化財・歴史資料
●上篠崎町1丁目22番31号 浅間神社
●昭和56年1月13日 告示  (「浅間神社の富士講碑 江戸川区 文化財・史跡」より)]

篠崎浅間神社ホームページ

浅間神社|江戸川区上篠崎の神社 – 猫の足あと

篠崎浅間神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が篠崎浅間神社参道です。

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