葛飾八幡宮

マーカーは葛飾八幡宮です。

江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、絵図四つ切右下・江戸川渡船場右方向に八幡宮と描かれています。)

葛飾八幡宮
[葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)は、千葉県市川市にある神社。旧社格は県社。
寛平年間(889年-898年)に宇多天皇の勅命により石清水八幡宮を勧請して建立されたと伝えられている。 下総の国を守護する総鎮守として崇敬されている。武神であることから平将門源頼朝太田道灌徳川家康など関東武士の信仰を集めた。
八幡宮近くにある八幡の藪知らず(八幡不知森=やわたしらずのもり)でも知られる。
永井荷風幸田文幸田露伴伊藤左千夫宗左近大岡信など多くの文化人に崇拝され、親しまれた神社として知られる。
下総国守護千葉氏上総氏安房国の大名里見氏など房総の武士団から敬われた。
境内
千本公孫樹(せんぼんイチョウ) – 推定樹齢1200年。国の天然記念物に指定(指定名称は「千本イチョウ」)
鐘楼廃仏毀釈以前に天台宗の八幡山法漸寺が別当寺として管理していたもの。
お祭りで賑わう参道鳥居・wikipedia-photo

随神門 – 神仏分離以前は別当法漸寺の仁王門であった。市川市指定有形文化財。wikipedia-photo

神門・wikipedia-photo

拝殿・wikipedia-photo

「千本公孫樹(国の天然記念物)、2009年4月撮影」・wikipedia-photo、鐘楼・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、葛飾八幡宮の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・葛飾八幡宮より)]

川上善六翁遺徳碑
[市川の特産品には”梨”があります。現在では主に市東北部の台地上で栽培されていますが、その起こりは「八幡梨」といって、明和7年(1770)八幡の川上善六によって始められたものです。
 八幡の土地は砂地であるため農作物には適さず、農家の生活は楽ではありませんでした。善六はなんとかこの地に適した特産品を作りたいと日夜頭を悩ませていましたが、砂地に梨栽培の適していることを知りました。当時、美濃国(岐阜県)で梨栽培が盛んであることを聞いた善六は、現地に行って栽培方法を研究しました。そして接穂(つぎほ)を持ち帰り、八幡宮境内に接木(つぎき)に成功しました。かれは以降品種の改良に努め、やっと良質の梨を作り出すことができたのです。善六はこの栽培を農家に勧め、「八幡梨」として売り出したので、その名は江戸をはじめ近郷に知られるようになりました。そして八幡はもちろんその周辺に広まって行き、八幡梨はいつしか「市川梨」と呼ばれるようになりました。このことから川上善六は梨祖(りそ)と仰がれ、大正4年には「川上善六遺徳碑」が八幡宮境内に建てられ、その偉業を今日に伝えています。  (「八幡・菅野界隈 | 市川市公式Webサイト」より)]

葛飾八幡宮公式ウェブサイト

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「八幡不知森 八幡宮」(20-32)、    「梨園(挿絵)・葛飾八幡宮解説」(20-31)、「葛飾八幡宮、八幡不知森解説」(20-33)、「梨園」(
八幡不知森 八幡宮(拡大図)

梨園(拡大図)

葛飾八幡宮 二の鳥居 – Google Map 画像リンク」、「葛飾八幡宮 随神門 – Google Map 画像リンク」、「葛飾八幡宮 – Google Map 画像リンク」、「厳島社(葛飾八幡境内) – Google Map 画像リンク」、「尾上稲荷社 – Google Map 画像リンク」、「八坂社(葛飾八幡境内) – Google Map 画像リンク」、「浅間社(葛飾八幡境内) – Google Map 画像リンク」、「千本イチョウ – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が葛飾八幡宮参道です。

カメラ北方向が隋神門です。

カメラ東北東方向に川上善六翁遺徳碑があり、カメラ北方向が神門になります。

カメラ北方向が葛飾八幡宮拝殿で、カメラ南方向に鐘楼があります。

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