逆井の渡し(旧中川)

マーカーは逆井の渡し(旧中川)です。

国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図を北向きにして、絵図中央下方向、中川と竪川との交点に渡し場が描かれています。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、葛西村左に法蓮寺が描かれています。

逆井の渡し
[旧中川は、1924年荒川放水路に注水を開始したことによって分断された中川の下流部分である。江戸時代には歌川広重名所江戸百景「逆井の渡し」や江戸名所図会「平井聖天」(燈明寺)新編武藏風土記稿の「逆井渡船場図」などで、情緒豊かな川であったことが知られており、川沿いに史跡が残っている。1945年3月10日の東京大空襲では、猛火を逃れようと川に入った3000人以上が犠牲となった。その犠牲者の慰霊のために、1999年に「旧中川灯籠流し」が始まり、以来毎年8月15日に行われている。平常時は、両端の水門を締め切って両端とも荒川へ排水しているため水は流れていないが、灯篭流しの時だけは木下川水門より取水し、荒川ロックゲート側から排水することにより水流を発生させ、灯篭が流れるように工夫している。
荒川ロックゲート・wikipedia-photo、逆井のわたし・wikipedia-photo  (wikipedia・旧中川より)]

[当区域の中川筋には「平井の渡し」「逆井の渡し」「中川の渡し」の三つの渡船場がありました。このうち逆井の渡しは元佐倉道の渡し場で竪川通りに通じるものです。護岸工事のため往時をしのぶことはできませんが、元佐倉道から竪川通りへ通じる地点は、ほぼ旧位置を推定できます。歌川広重(1797~1858)の『名所江戸百景』(1856~58年)にも描かれています。
明治12年(1879)ほぼ渡しの跡とおもわれる位置に逆井橋が架けられました。亀戸小松川両村による架橋で、その費用を補うために橋銭(通行料金)が徴収されています。明治27年(1894)に橋銭の徴収は終わり、明治31年(1898)には東京府によって架け替えられました。昭和43年(1968)に鉄橋に架け替えられています。撤去した木造の親柱が郷土資料室にあります。現在の逆井橋は平成11年(1999)の架橋です。
江戸川区登録史跡・史跡
小松川2丁目113先
●昭和58年3月15日 告示  (「逆井の渡し跡 江戸川区 文化財・史跡」より)]

カメラ位置は旧中川で、カメラ南西方向が竪川口で、カメラ北北西方向が逆井橋です。

カメラ位置は逆井橋です。

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