「Google Earth で街並散歩(江戸編)」で取り上げた『江戸高名会亭尽』のページをまとめてみました。
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『江戸高名会亭尽』(えどこうめいかいていづくし)は歌川広重による大判横錦絵で、江戸の高名な料理屋を取り上げた全30図の揃物である。
江戸では明暦の大火(1657年)以後、大衆食堂のような料理屋が浅草や両国付近に登場し、さらに宝暦年間(1751年 – 1764年)には手の込んだ料理を提供し座敷や庭のある高級料理茶屋が現れた。料理茶屋は参拝客や行楽客を見込んで名所の周辺に建てられ、書画会や句会なども開かれていた。地方の人間にとってこうした料理茶屋は一種の江戸名所となっており、これを題材とした見立番付や絵双六、そして錦絵が複数登場した。歌川国貞『当時高名会席尽』、渓斎英泉『当世会席尽』、三代豊国(歌川国貞)・広重合作『東都高名会席尽』、そして明治に入ってからも豊原国周『東京三十六会席』『開化三十六会席』などがあるが、なかでも有名なのが藤岡屋彦太郎を版元とする歌川広重の『江戸高名会亭尽』である。
料理屋の座敷の様子だけでなく、建物の外観や庭園などが様々な季節の風景とともに表され、風景画の名手としての広重ならではの描写となっている。各図の扇形のなかには、それぞれの料理屋にちなんだ狂句が記されて興趣を添えている。題材には書画会や句会を行う人々の姿が複数登場しており、当時の料理屋が文人たちの交流の場としても活用されていたことをよく伝えている。取り上げた料理茶屋は八百善、平清といった高級どころから、白山の万金や浅草雷門前の亀屋のような即席料理を供する店までバランスよく含まれている。 (wikipedia・江戸高名会亭尽より)
王子 扇、白山傾城か窪 万金、池之端 蓬莱屋・下谷広小路 河内楼、大をんし前 田川屋、新吉原衣紋坂日本堤 播磨屋、山谷 八百善、橋場の渡し(現白髭橋)・隅田川橋場渡之図 柳屋、鬼子母神大門ケヤキ並木・雑司ケ谷之図 茗荷屋、今戸橋之図 玉庄、池之端 蓬莱屋・下谷広小路 河内楼、湯島天神・湯嶋 松金屋、柳ばし夜景 万八、両国柳ばし 梅川、両国柳橋 大のし、両国柳橋 河内屋、日本橋万町 柏木、飯倉神明宮(芝大神宮)・芝神明社内 車屋、木母寺・木母寺雪見 植木屋、向嶋之図 平岩、三囲之景 出羽屋、武蔵屋・大黒屋(大七)、本所小梅 小倉庵、柳島(橋)の図 橋本、亀戸天神・亀戸裏門 玉屋、両国 青柳、富岡八幡宮・二軒茶屋、深川八幡前 平清、洲崎弁天・洲崎初日之出 武蔵屋