池之端 蓬莱屋・下谷広小路 河内楼

マーカーは池之端 蓬莱屋跡付近です。

[上野池の端(はた)にあった蓬莱屋は、主人の名も長寿でめでたい亀吉だったこともあり繁盛したようです。当時上野には寛永寺をはじめ寺院が多かったので、蓬莱屋は一般の料理のほか、精進料理でも知られていました。
 精進料理は魚介類や肉類などを用いず、野菜類・海藻類・穀類などの植物性の材料だけで作る料理で、仏教の影響で始まり、鎌倉時代に大陸から禅宗が伝来してから一般へも普及しました。江戸時代には精進料理専門の料理書も刊行され、専門の料理屋もありました。また江戸時代に長崎へ伝えられた中国料理は卓袱(しっぽく)料理、精進の場合は普茶(ふちゃ)料理と呼ばれ、一時はかなり流行したようです。  (「江戸の美味探訪- no.4「蓬莱屋と精進料理」 – 歌舞伎座楽市」より)]
 
[「江戸高名会亭尽」は料理茶屋を主題としているが、それぞれの店に描き方に関しては、おおざっぱに見て三つの類型に分類できそうである。
第二の類型は、座敷内部の描写に力点を置きながらも、画面の半分近くか、それ以上の面積( 「山谷八百善」などよりもはるかに大きく)を開口部から見せる戸外の風景が占めるものである。これに分類できるのは、座敷の手すりの向こうに不忍池の風景を大きく取り入れた「池之端蓬莱屋青楼花見の休み」と「下谷広小路河内楼」。  (「錦絵に見る料理茶屋情報:「江戸高名会亭尽」を中心に」より)]

江戸高名会亭尽(歌川広重) – 池之端 蓬莱屋 青楼花見の休み「狂句合 師は徐福子供花見にほうらい屋」(wikipedia-photo)

江戸高名会亭尽(歌川広重) – 下谷広小路 河内楼「狂句合 お池通りにかつら河長印 扇松」(wikipedia-photo)

東都名所 上野山王山 清水観音堂花見 不忍之池全図 中島弁財天社(「国立国会図書館デジタルコレクション – 東都名所 上野山王山 清水観音堂花見 不忍之池全図 中島弁財天社 (東都名所)」より)

  
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕 下谷絵図(嘉永2-文久2(1849-1862)」
(絵図上、中央右の不忍池下の仁王門前町に蓬莱屋(「江戸買物独案内」 – 3巻 13p )がありました。)

カメラ位置は不忍池蓮見デッキで、カメラ北方向岸辺が仁王門前町(現・台東区上野2丁目14)になります。