医学館跡

スポンサーリンク

マーカーは医学館跡案内板です。

医学館跡
[医学館(いがくかん)は、江戸時代後期に設けられた医学校。
江戸幕府が神田佐久間町に設けた漢方医学校。
明和2年(1765年)、幕府奥医師の多紀元孝(安元)が開設した私学躋寿館(せいじゅかん)が起源である。
寛政3年(1791年)、幕府直轄の医官養成校となり医学館と改称した。
文化3年(1806年)、大火で焼け落ち浅草向柳原に移転再建された。  (「wikipedia・医学館より)]

[医学館跡(旧躋寿館跡)(いがくかんあと・きゅうせいじゅかんあと)
(都指定旧跡) 台東区浅草橋4丁目16番
江戸幕府唯一の医学専門学校、医学館が清洲橋通りのこの地にあった。明和2年(1765)、幕府奥医師多紀元孝が医師(漢方医)の教育のため、神田佐久間町に建てた私塾躋寿館から出発、寛政3年(1791)に、幕府が医師養成の重要性を認めて官立とし、医学館と改称、規模を拡大した。文化3年(1806)3月、大火に遭い焼失、同年4月に、前方の旧向柳原1丁目に移転、再建された。敷地約7,000平方メートル、代々多紀家がその監督に当たり、天保14年(1843)には寄宿舎を設け、全寮制とし、広く一般からも入学を許可し、子弟育成をはかるなど、江戸時代後期から明治維新に至る日本の医学振興に貢献した。  (「浅草橋・医学館跡(旧躋寿館跡)」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 浅草御蔵前辺図」(絵図左上・新橋の右方向に医学館が描かれています。その下に多紀安良が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 拾五之二」(2/2・地図右下方向井原右京亮下に医学館多紀安良拝借地と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 拾五」(35/216~39/216・地図右端下に医学館多紀安良拝借地と記述されています。)

医学館跡(旧躋寿館跡) – Google Map 画像リンク

カメラ南方向に医学館跡の案内板があります。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*