大洲藩加藤家中屋敷跡

マーカーは大洲藩加藤家中屋敷跡です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP471・コマ番号279/553から大洲藩屋敷の変遷について記載されています。P472・コマ番号280/553「中屋敷 下谷竹門」がこの地になります。

加藤泰秋
[加藤 泰秋(かとう やすあき)は、弘化3年(1846年)、伊予国大洲藩11代藩主加藤泰幹の四男として誕生。幼名を廉之進。
元治元年(1864年)11月26日、12代藩主であった兄泰祉の死去により家督を継いだ。倹約や家臣の知行削減を行なって財政再建や軍備増強に尽力し、慶応2年(1866年)には窮民の救済を行なっている。尊王派として行動し、小御所会議では軍勢を率いて御所の警備に当たった。鳥羽・伏見の戦いでは警備する攝津西宮長州藩兵を隠密に上陸させ、戊辰戦争では武成隊による甲府城警備や奥羽討伐など、新政府側に与して貢献した。明治天皇の東京行幸(事実上の遷都)では行幸行列の前衛を務めた。
1869年6月に版籍奉還知藩事、1871年7月の廃藩置県で免官となった。  (wikipedia・加藤泰秋より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図中央左下に加藤遠江守(加藤泰幹)上屋鋪が描かれ、その左下に中屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書. 十四之二(天保十六年・1844年)」[絵図中央左上に加藤遠江守(加藤泰幹)、その右上に下屋敷と描かれています。]

カメラ東方向道路を含む両サイドが大洲藩加藤家中屋敷跡で、カメラ北西方向が上屋敷になります。