マーカーはカメラ位置です。
御厩河岸(厩橋)
[歌川広重の名所江戸百景「御厩河岸」は、御厩河岸から隅田川を望んだ夕景である。江戸時代隅田川の右岸の吾妻橋と両国橋との間に、幕府の米を貯蔵する米蔵があった。その上流の三好町に昔幕府の馬を飼っていた厩(ウマヤ)があったために名付けられた御厩河岸があり、この河岸と対岸の本所石原町との問に「御厩(オンマヤ)河岸の渡し」があった。また御厩河岸は、その西北にあった浅草寺界隈の盛り場への入口に当り、対岸の本所からも渡し舟で多くの人がやって来た。現在は「御厩(オンマヤ)河岸の渡し」の代わりに厩橋が架けられ、橋の本所側のたもとに船着場がある。(名所江戸百景・ 御厩河岸wikipedia-photo) (「電脳日和下駄」より)]
[御厩(おうまや)の渡し
「御厩河岸の渡し」とも称され、現在の厩橋付近にあった。川岸に江戸幕府の「浅草御米蔵」があり、その北側に付随施設の厩があったのでこの名がついた。元禄3年(1690年)に渡しとして定められ、渡し船8艘、船頭14人、番人が4人がいたという記録が残る。渡賃は1人2文で武士は無料。1874年(明治7年)の厩橋架橋に伴い廃された。歌川広重の錦絵「浅草川首尾の松御厩河岸」にも描かれている。「富士見の渡し」(葛飾北斎 「冨嶽三十六景色 御厩川岸 両國橋夕陽見」)wikipedia-photo (wikipedia・隅田川の渡しより)]
浅草三好町
[(現) 台東区蔵前二丁目
浅草御蔵前通(日光道中)の東側、大川(隅田川)東岸にある。南は御蔵構、北は浅草黒船町。町名は昔オランダ船が来航した時、船の舳をここに向けて停泊したことから「舟首みよし町」と書かれ、のち三好町と書くようになったという(東京府志料)。ただし文政町方書上はこの説を退けている。寛文新板江戸絵図では「御馬ヤ」とあって、御厩を管理する石井孫左と左近の屋敷地。天和元年(1681)御坊主衆拝領地となり(文政町方書上)、享保年中江戸絵図に三好町とみえる。享保17年(1732)町屋敷は類焼、その後御用地に召上げられ堀田原で代地を与えられた。宝暦7年(1757)元地に復したが、堀田原にも一部が残り浅草三好町代地となった。町内の規模は東西59間五尺余、南北は東方51間3尺余・西方38間5尺余。すべて武家方拝領町屋敷。文政8年(1825)の家数63。当町入口の御蔵土手側には間口3間・奥行2間の商番屋二ヵ所があった。同番屋は当町名主利右衛門が地所拝借を願出て元禄2年(1689)に建てられ、その後当町名主らにより管理された。寛政元年(1789)には御蔵土手側に改築され、同12年以降浅草元鳥越町名主文次郎が拝借し、御蔵土手見守りなども行った(文政町方書上)。
大川沿いの河岸通りは御厩河岸で、河岸場物置八ヵ所があった(文政町方書上)。御厩河岸の名は浅草御蔵に属する厩が置かれたことに由来し(御府内備考)、正保江戸絵図には「御馬屋」とある。「山谷荒波馬頭観音縁記」には寛文3年(1663)徳川家綱日光社参のとき荒波という名馬を取寄せ、江戸へ帰城後も浅草御厩石井孫左衛門に預け、同馬死亡後は当地に埋めて観音としたという言伝えがあった(御府内備考)。御厩近くには本所の備後福山藩阿部氏蔵屋敷(現墨田区)の前へ渡る御厩河岸渡があり、御厩渡とも、また西にあった八幡宮(藏前神社)の別当が文殊院であったことから文殊院渡ともいわれた(江戸惣鹿子・御府内備考)。船渡請負人は南本所外出(そとで)町(現墨田区)の与左衛門ら2名。従来から茶船で自分渡しを行い船賃2文をとっていたが、元禄3年以降船渡賃2文が町奉行により認められ、河岸近くで地所を与えられたという。また延享4年(1747)の高札によれば武士からは人馬とも船賃を取ることが禁止されていた(文政町方書上)。明治7年(1874)9月、上流に厩橋が架けられたため廃止された。明治3年浅草植木町を合併、また隣接の官有地をも合併した。 (「浅草三好町 | 仲介手数料最大無料の東京賃貸事情」より)]
「東京都立中央図書館 – 隅田川両岸一覧図絵 上、 隅田川両岸一覧図絵 下」より。
御厩の渡西岸

御厩の渡東岸

「国立国会図書館デジタルコレクション- 〔江戸切絵図〕. 浅草御蔵前辺図(嘉永六年・1853年)」(絵図中下・隅田川に御厩ガシ渡シ場が、その右上に三好町が描かれています。)
「国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書 – 拾五之二(弘化二年・1845年)」のコマ番号「2」で御米蔵の左に厩河岸と浅草三好町が描かれています。
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国浅草区須賀町及本所区横網町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治17・1884年)」(地図中央、大蔵米庫が浅草御蔵です。)
「江戸名所圖會. 卷之1-7 / 齋藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 畫圖」・「御厩河岸渡」(16-30)
御厩河岸渡(拡大図)
絵本江戸土産 – 御厩河岸 駒形堂 金龍山遠望(拡大図)
名所江戸百景[歌川(安藤)広重](御厩河岸・wikipedia-photo)
富嶽三十六景(葛飾北斎) – 御厩川岸より両國橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)(wikipedia-photo)
カメラ位置は厩橋西詰です。