正覚寺(榧寺)

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マーカーは正覚寺(榧寺)です。

正覚寺(榧寺)
[浄土宗の榧寺(かやでら)は、天正年間(1575年ごろ)から草庵として始まり、慶長4年(1599)に増上寺中興開山の観智国師法名貞蓮社源誉上人が池中山盈満院正覚寺として開山しました。境内に鬱蒼と茂っていた榧の木が、寺宝を火災から護っていたことから、江戸時代から榧寺と称されていました。昭和27年に末寺の山谷町宗念寺と合併、榧寺と改称しました。
石川雅望墓(指定昭和18年5月)
江戸時代著名な俳歌師、六樹園を称し、字を子柏といった。五老斎、逆旅主人または蛾術斎と号した。また石川五郎兵衛といい狂歌蜀山人に学び狂名を宿屋飯盛といった。小伝馬町3丁目の旅館糟屋七兵衛(画名を石川豊信)の子として生れ、青年期には行状放逸で、父の死に逢って学問を好むようになったという。しかし強訴を援助したという嫌疑をうけ、しばしば法廷によばれ、ついに江戸を追われて多摩郡府中に住むようになった。彼はここで和歌を学び、晩年狂歌をよくした。著書には「源注余滴」「雅言集覧」などがあり、戯者小説類も数種ある。文政13年(1830)閏3月24日歿。年78。(東京都教育委員会) (「猫のあしあと」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図」(1849 – 1862)[絵図四つ切右下・「浅草御蔵」右方向に「正覚寺 榧寺ト云」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 拾五之二」(絵図四つ切左上「御米蔵」左に「正覚寺」が描かれています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・正覚寺八幡宮[絵右上に正覚寺(榧寺)が描かれています。]

江戸名所圖會. 卷之1-7 / 齋藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 畫圖」・「正覚寺八幡宮」(16-29)、「榧寺解説・右ページ中程」(16-27)

榧寺 – Google Map 画像リンク

カメラ南南西方向が正覚寺(榧寺)です。

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