篠塚稲荷神社

スポンサーリンク

マーカーは篠塚稲荷神社です。

篠塚稲荷神社
[篠塚稲荷神社は、新田義貞の家臣篠塚伊賀守重廣にまつわる神社である。篠塚伊賀守は、新田四天王の一人として知られ、剛勇を以って鳴らした武将である。義貞が越前の戦いで討死し、その弟脇屋義助伊予に転戦すると、それに従って伊予に移り、義助陣没後も世田城・笠松城で抵抗を続けた。しかし阿波国守護細川頼春の大軍に攻め落とされ、大館氏明は戦死した。一方、篠塚伊賀守は並みいる敵兵を相手にたった一人で敵中を突破し、足利方の船を奪って戦場から逃れた。この後、魚島を経由して、遠く常陸国に逃れたという。その後、武蔵国に移って主家の再興を念願し、稲荷社の傍らに庵を結んで出家し日夜参篭を怠らなかったと伝えられている。いつしかその稲荷社は、篠塚稲荷神社と呼ばれるようになり、今日に及んでいると言う。  (「春の夜の夢」より)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・第六天篠塚稲荷
[絵の中の第六天神は、現在の第六天榊神社で東京都台東区蔵前に在る神社です。かつては鳥越の地に在り、鳥越神社、熱田神社(現台東区今戸)と共に鳥越三所明神と呼ばれていました。天保二年(1645年)に鳥越の地が公用のため召し上げとなり、第六天神は森田町(現台東区蔵前)に移転。元禄時代の地図にはモリタ丁のわきに「大六天」と記されています。 (「2011年3月 – 江戸観光案内:第六天神」より)]

篠塚稲荷神社資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 浅草御蔵前辺図」(絵図左中央付近・浅草御門右下方向に「篠塚イナリ」と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 拾五之二」(絵図右端中央に「第六天社」上に「稲荷社」と描かれています。)

江戸名所圖會. 卷之1-7 / 齋藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 畫圖」・「第六天篠塚稲荷」(16-33)、「第六天神、篠塚稲荷社解説・左ページ6行目から」(16-30)

篠塚稲荷神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が篠塚稲荷神社です。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*