鴨方藩池田家上屋敷跡

マーカーは鴨方藩池田家上屋敷跡です。

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP535・コマ番号311/553から鴨方藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 浅草鳥越」がこの地になります。

鴨方藩池田家
[江戸時代中、岡山藩には支藩が3藩が存在した。いずれの支藩も岡山新田藩(おかやましんでんはん)と称した。そのため現在ではそれぞれ「児島藩」「鴨方藩」「生坂藩」と呼ばれることが多い。
鴨方藩(かもがたはん)は、備中国浅口郡(現:岡山県浅口市)・小田郡窪屋郡を領有し、藩庁は鴨方陣屋。石高は2万5000石。寛文12年(1672年)、池田光政の次男・政言が立藩した。藩主はほとんど岡山城下に居住していた。江戸期を通じての名称は岡山新田藩(おかやましんでんはん)で、明治元年(1868年)に鴨方藩と改称した。明治4年(1871年)、廃藩置県により鴨方県となった。  (wikipedia・岡山藩#鴨方藩より)]

東京都立図書館アーカイブ – 東都浅草絵図(文久元[1861]改正)」[絵図上四つ切左上中央に池田内匠頭(池田章政)上屋敷が描かれています。]

拾五之二[2](弘化二年・1845年)」[絵図四つ切右下に池田信濃守(池田政善)と描かれています。]

カメラ位置は台東区立台東育英小学校北東部で、カメラ南南西方向道路両サイドが鴨方藩池田家上屋敷跡になります。