海神念仏堂

マーカーは海神念仏堂です。

海神念仏堂
[船橋市海神にある浄土宗寺院の海神念仏堂の創建年代等は不詳ながら、慶安4年(1651)銘の墓石が残されていることから江戸時代前期には既に創建していたと推定され、芝増上寺36世も勤めた祐天上人(1637-1718)が浄土宗寺院としての体裁を整えたといいます。元禄年間(1688-1704)には江戸神田の高麗屋佐次右衛門から観音堂を寄進されたものの、一寺とならず、信者が集まって念仏を唱える堂(念仏堂)として供されています。念仏堂本尊阿弥陀如来立像は、平安時代末期前後(12世紀頃)の作で船橋市文化財に指定されている他、近くの三叉路にあった元禄七年銘道標が移設されています。
■境内観音堂の縁起
この観音堂は、元禄十四年(一七〇一)に江戸神田鍋町の富商である高麗屋佐次右衛門が建立寄進したものである。
堂内には、同じく佐次右衛門が奉納した三十三躰の観音像が安置されている。これは佐次右衛門が、前年の元禄十三年(一七〇〇)九月に死去した父の他、数人の菩提を弔うために寄進したものである。
中央の一躰は厨子に収められてやや大きく、あとの三十二躰は小像で左右に二段に並んでいる。
この群像は「三十三観音」ではなく、西国三十三番札所の観音像を彫ったものとされている。
今では毎年八月十日に開帳し、供養をしている。
なお伝説では、この高麗屋は豊臣秀吉朝鮮出兵の際に、加藤清正に連行された者の子孫だという。
奉納者・高麗屋と海神念仏の結びつきは、次のようにいわれている。
「元禄年間、新開の行徳道の傍らにある念仏堂に、念仏に明け暮れる了故房という修行者がいた。その念仏はすばらしく、往来の人が感涙をもよおすほどであった。ある日、ここを通った高麗屋も念仏を聞いて感激のあまり、宗派まで変えて了故房に帰依し、本堂を改築寄進し、さらに観音堂を建立寄進して、先祖代々の位牌まで納めて信心した。」(境内掲示より)
■元禄七年銘道標
元禄7(1694)年10月26日の銘がある、市内最古の道標です。もとは70m ほど北東と寄り、現在は陸橋下となっている三叉路に建てられていました。
道標正面の「右 いち川みち」は、この三叉路のある船橋市海神から、市川市八幡を経て同市市川へ至る道(佐倉道の一部)を示し、「左 行とくみち」は、船橋市山野町、市川市原木を経て同市本行徳へ至る道(行徳道)を示します。
佐倉道は、江戸から佐倉城下に達する道でした。その先が成田へと続いており、江戸中期頃から、成田参詣の隆盛と共に、成田道とも呼ばれるようになりました。
行徳は、日本橋(行徳河岸)と行徳を川で結ぶ「行徳船」の発着場でした。行徳と海神を結ぶ行徳道は、楽で早い船旅を好む成田参詣者で賑わいをみせた道でした。(船橋市教育委員会掲示より)  (「海神念仏堂|船橋市海神にある浄土宗寺院 – 猫の足あと」より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「船橋駅天道念仏踊図」(20-45)
船橋駅天道念仏踊図(拡大図)

海神念佛堂 Google Map 画像リンク」、「元禄七年銘 道標 Google Map 画像リンク

カメラ南方向が海神念仏堂です。