「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1944~1954年、1965~1968年、1975~1978年の地図に、「世田谷文学館」 – 「弁財天堂の池」の源流ルートが描かれ、現在地図と比較すると源流ルートが想定できます。
烏山川(烏山川緑道)
[烏山川(からすやまがわ)は、東京都世田谷区内をかつて流れていた二級河川で、目黒川の支流のひとつ。世田谷区北烏山にある高源院の弁財天堂の池が源流の1つ。
1970年代以降、ほぼ全面的に暗渠化され、ほとんどが下水道(烏山幹線)へ転用された。近年は暗渠部の緑道化が進められ、「烏山川緑道」と呼ばれている。
八幡山3丁目・都営八幡山アパート付近には環八通りに沿って廃用になった開渠が遺る。水は流れていない。
世田谷区北烏山付近に源を発し南東へ流れ、同区三宿付近で北沢川と合流して目黒川となる。流路延長は11.70km。
烏山川緑道・wikipedia-photo (wikipedia・烏山川より)]
烏山川緑道
[烏山川緑道は延長約7キロあり、千歳台にある千歳温水プールあたりから、三宿の北沢川緑道との合流地点まで続いています。緑道の半ば、宮坂一丁目には万葉の小径があり、ここは、万葉集に詠まれた草花が植えられています。
この緑道に沿って、豪徳寺、世田谷城址公園、松陰神社、太子堂、円泉寺等、歴史にゆかりのある神社仏閣があります。 (「烏山川緑道 | 世田谷区」より)]
「千歳烏山の地名の由来と幕末明治大正期の家並図を調べてみた – 酢ろぐ!」よりコピー
[古烏山川筋をチェック
お寺巡りを終え、古烏山川筋のチェックに戻る。道端にある地図をみると、高源院の裏手あたりに、いかにも水路跡といった趣の道筋。寺町通りのひとつ東を通る松葉通りを少し北に戻る。
玄照寺の北にそれらしき細路。道は高源院裏手まで続いていた。民家の間を続く細路であり、お寺の塀で行き止まりになるあたりでは、道端で遊ぶ子どもたちに少々怪訝なん顔をされてしまった。
松葉通りまで戻る。水路は松葉通りを越え団地内に続き、団地中央あたりで南に折れ、中央道烏山トンネルの西端辺りに向かって下る。道筋は如何にも水路跡といった雰囲気が残っていた。
玉川上水からの分水口
古烏山川筋から離れ、次は、玉川上水からの分水口および烏山用水の水路チェックに向かう。玉川上水の分水口は岩崎橋の少し下流にある、と。玉川上水まで戻り、橋のあたりであれこれ分水口を探すが確認できず。分水口からの流れは岩通ガーデン内を南下し久我山病院あたりに出る。そこから、久我山病院前を走る下本宿通りを東に折れ、団地東端に沿って南下する。古烏山川と平行して団地内を下っている。 (「世田谷区散歩 Ⅰ:烏山川緑道・北沢川緑道を歩く – 」より)]
玉川上水からの分水口
現在高欄が撤去されてしまったていますが、「烏山川の上流部 – 世田谷の川探検隊」の画像からコピーさせてもらった画像。
烏山北住宅13号棟東
中央高速下