マーカーは「たきび」のうた発祥の地の案内板です。
「たきび」のうた発祥の地(鈴木新作宅)
[「たきび」のうた発祥の地
かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜ ぴいぷう ふいている
今も人々に愛唱されている「たきび」のうた。この童謡の作詩者巽聖歌(たつみせいか:本名:野村七蔵1905~1973)は、岩手県に生まれ、北原白秋に師事した詩人で、多くの優れた児童詩を残しました。聖歌は、この詩が作られびた昭和5、6年頃から約13年の間、萬昌院のすぐ近く、現在の上高田4丁目に家を借りて住んでいました。朝な夕なにこのあたりを散歩しながら、「たきび」のうたの詩情をわかせたといわれています。歳月が流れ、武蔵野の景観が次第に消えていくなかで、けやきの大木がそびえ垣根の続くこの一角は、今もほのかに当時の面影をしのぶことができる場所といえましょう。 昭和58年3月 中野区教育委員会 (「中野区上高田「たきび」の歌発祥の地」より)]
たきび
[たきびは日本の童謡。作詞は巽聖歌、作曲は渡辺茂。たき火と表記される場合もある。当時、巽は東京都中野区上高田に在住していたが、自宅の近辺には樹齢300年を越す大きなケヤキが6本ある「ケヤキ屋敷」と呼ばれる家があった。その家にはケヤキの他にもカシやムクノキなどがあり、住人はその枯葉を畑の肥料にしたり、焚き火に使ったりしていた。「ケヤキ屋敷」の付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに詞を完成させた。
「中野区上高田にある『たきび』の歌発祥の地。一般人の住居であるが、中野区による説明版がここの傍にある。歌詞冒頭の垣根の風情が現在も見ることができる。」・wikipedoia-photo (wikipedia・たきびより)]
「「たきび」のうた発祥の地 – Google Map 画像リンク」
「たきび」のうた発祥の地の鈴木新作宅前のカメラです。
かきねの まがりかど