全龍寺

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マーカーは全龍寺です。

全龍寺
[全龍寺は、鐵雙和尚が寛永年間(1624-1643)に創建したと伝えられます。鐵雙和尚は、成願寺六世で寛永初年(1624)に清見寺を創建したと伝えられることから、清見寺創建の後、当寺を創建したものと推定できます。
新編武蔵風土記稿による記述
(西大久保村)金龍寺
禅宗曹洞派多摩郡中野村成願寺末、海亀山と号す。開山鐵雙、寛永中の建立と云。
白山社。
閻魔堂。
鐘楼、貞享年中鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)  (「全龍寺|新宿区大久保にある曹洞宗系単立寺院 – 猫の足あと」より)]

登録有形民俗文化財 「全龍寺の庚申塔」
[全龍寺(ぜんりゅうじ)境内にある庚申塔で、https://ja.wikipedia.org/wiki/寛文”>寛文12年(1672)に28名の施主によって立てられたものです。形態は舟形で、阿弥陀如立像を主尊とします。主尊の左右に銘文が刻まれていますが、施主の個人名は見られません。水鉢・花立てを造り込んだ台座の最下部に庚申塔の特色である三猿が刻まれています。高さ177㎝。庚申塔は江戸時代に流行った庚申講の人たちが立てた石塔で、多くの場合、60日毎の庚申待(コウシンマチ)を18回(3年間)行い、三尸虫(サンシチュウ)を滅して結願となった際に立てました。
 区内で確認されている42基の庚申塔の中では、比較的古い時代に立てられたものです。阿弥陀如来像を主尊とする庚申塔は都内でも類例が少なく、新宿区内では唯一のものです。また、銘文中の「結衆(ケチシュウ)」の文字は中世の板碑などに見られる表現で、庚申待を行った人々が中世的な表現を用いていたことを示しています。  (「新宿区の指定・登録文化財と地域文化財 – 新宿区役所」より)]

全龍寺資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(コマ番号5/5・絵図中央付近に「全龍寺」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [20]拾九貞」(コマ番号2/13・切絵図下に全龍寺の長大な敷地が描かれています、コマ番号5/13・切絵図左上に長光寺の上に全龍寺敷地が描かれ、周囲が百人組同心大縄地(屋敷地)になっています。「組屋敷道 南町」が職安通り、「組屋敷道 仲町」が大久保通りと思われますので、全龍寺は拝領敷地の左端に建つものと思われます。全龍寺の敷地は「組屋敷道 南町」の職安通りの南側、新宿東宝ビル(元新宿コマ劇場)付近まであったようです。)

カメラ位置は大久保通り(組屋敷道 仲町)で、カメラ南方向が全龍寺山門です。

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