マーカーは円照寺です。
円照寺
[真言宗豊山派の寺院で、医光山瑠璃光圓照寺という。もと鎧神社の別当寺であったといわれている。縁起については定かではないが、『江戸名所図会』などによれば、次のような経緯を経て、藤原秀郷によって建てられたという。醍醐天皇の時代に、理源大師の弟子、貞崇僧都が現在の圓照寺の辺りに薬師如来像を安置。承平5年(939)にかけて平将門が関東に勢力をもつようになった。天慶3年(940)、藤原秀郷が将門を討伐するため軍勢を率いて出陣したが、中野の辺りで病に伏してしまった。その夜の霊示に従って祈ったところ、苦痛はたちまちなくなり、将門討伐の祈願も達成された。喜んだ秀郷は、凱旋の後に堂塔を建立し、圓照寺とした。また一説では、旧地頭の柏木右衛門佐頼秀の館跡であったとも伝えられており、境内にその由来にもとづく右衛門桜が植えられ、名木として有名だった。 (「圓照寺 – 新宿観光振興協会」より)]
右衛門桜
[「右衛門桜」は 北新宿の円照寺にあります。「右衛門桜」について、江戸名所花暦では次のように書かれています。
『 柏木の右衛門桜と名付けたる説は、武田右衛門という浪人あり。すぐれてこの花を愛す。老木にて幹木の枝枯れたり。右衛門歎きて、あらたに若枝をつぐ。継木の妙手を得たる人なれば、枝葉栄えて花もむかしの色香をなせり、右衛門が継木の桜なれば、いつともなく右衛門桜という。所を柏木村といへば、源氏の柏木右衛門に因み手名高き木とはなれり。』 (「気ままに江戸 散歩・味・読書の記録 : 右衛門桜 (桜16 江戸の花と木)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [20]拾九貞」(コマ番号8・切絵図左上角に円照寺が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「鎧明神社圓照寺」(11-15)、「医光山圓照寺解説-1・左ページ左から5行目から」(11-16)、「医光山圓照寺解説-2・右ページ左から2行目まで」(11-18)、「柏木邑右衛門桜」(11-16)
鎧明神社圓照寺(拡大図)
[図会手前に圓照寺、奥に鎧明神社が描かれています。]
柏木邑右衛門桜(拡大図)
カメラ東北東方向が円照寺山門です。
円照寺境内右衛門桜前のカメラです。
円照寺本殿前のカメラです。