南向地蔵

マーカーは南向地蔵です。

南向地蔵
[住宅街の小さな公園に、右側に子育て地蔵、左に庚申塔が置かれている祠があります。この二体の石仏は以前野方2丁目56番付近にありましたが、周囲の交通が激しくなってきたので、現在地に移転したものといわれています。
所在地 中野区野方2-14
アクセス 西武新宿線 「野方」駅から徒歩15分  (「野方第二公園西の地蔵 | まち歩き | 中野区都市観光サイト まるっと中野」より)]

[元々、『南向地蔵』は現在の環状7号線そばにあったという。道路の交通量が増え、危ないので現在の場所へ移されたという話を聞いた。環七ができたのは戦後だが、私が子どもだった頃から今の場所にお地蔵様はあった。
だから、移されたのは最低でも40年以上前だと思う。ちなみに、以前あったとされる場所には交通安全のお地蔵様が新たに建てられた。
こちらは場所を移されたからといって歴史の浅いお地蔵様ではない。よく見ると1600年代の年号が刻まれているため、江戸時代初期に建てられたようだ。
お堂の左のあるのは庚申塔で、三猿が彫られている。
右のお地蔵様は“子育地蔵”とのことで、通りすがりに手を合わせる人が多いと聞く。  (「私の街 ~お地蔵様 風吹く丘の大きな緑の木/ウェブリブログ」より)]

(上記サイト続き)
[『南向地蔵』が、先月からお堂の改修が行われていた。お堂が古くなり、道路との境を整理することも合わせて改修することになったそうである。改修にあたり喜捨を募ったところ、地域の人たちから多額の寄付が集まったらしい。“地域のお地蔵様”として、親しまれている証拠であろう。
先日、散歩で久しぶりに前を通ると、新しいお堂が完成になっていた。
境をきちんとするために写真のようになったそうだが、「“南”向き」が「“南西”向き」になったらしい。
まぁ、諸般の事情あってのことだそうだから、お地蔵様もわかってくださるでしょう(^-^)  (「私の街 ~お地蔵様の“その後” 風吹く丘の大きな緑の木/ウェブリブログ」より)]

南向地蔵 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が南向地蔵です。