大久保の犬御用屋敷跡

スポンサーリンク

マーカーは大久保の犬御用屋敷跡案内板です。

大久保の犬御用屋敷跡
[江戸時代元禄年間に設置された犬御用屋敷の跡。五代将軍徳川綱吉は、男子徳川徳松の死後、世継ぎに恵まれず、これを前世の殺生によるものと信じました。そして、貞享4年(1687年)、「生類憐れみの令」を発したのです。これによって生物の殺生きを固く禁じ、とくに綱吉が戌年(いぬどし)生まれであったため、犬を重視したといいます。これに伴って元禄8年(1695年)、飼い主のいない犬を収容するため、四谷・大久保・中野に『犬御用屋敷』が設置されました。なかでも大久保の『犬御用屋敷』は、なんと総面積2万3000坪という広さを誇り、約10万匹の犬を収容したといいます。元禄10年(1697年)には手狭となり、閉鎖されました。  (「大久保の犬御用屋敷跡 | 一般社団法人新宿観光振興協会」より)]

[抜弁天の東側一帯(1万坪)および余丁町小学校と警視庁第八機動隊(1万3千坪)は、江戸時代に設けられた犬御用屋敷の跡である。五代将軍徳川綱吉は、男子徳松の死後、世継ぎに恵まれず、これを前世の殺生によるものと深く悔い、貞亨4年(1687年)、「生類憐れみの令」を発し、生物の殺生を固く禁じた。特に綱吉が戌年生まれであったため、犬を重視した。これに伴い、元禄8年(1695)、飼い主のいない犬を収容するため、四谷(千駄ヶ谷村、天龍寺の西)・大久保・中野(中野区役所一帯。旧囲町)の3カ所に「犬御用屋敷」を設置した。大久保の犬御用屋敷は、元禄8年5月25日に、四谷の犬御用屋敷とともに落成したもので、収容された犬は10万匹にのぼったと伝えられる。しかし、次第に手狭になり、順次中野の犬御用屋敷にその役割を移し、元禄10年10月に閉鎖され、跡地は武家居屋敷となった(新宿教育委員会)  (「新宿区散歩その弐;市ヶ谷台地を辿り、大久保から北新宿へ」より」

大久保の犬御用屋敷跡 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向植え込みに大久保の犬御用屋敷跡の説明版があります。犬御用屋敷跡はカメラ西方向で余丁町小学校の用地になっている。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*