尾張徳川家中屋敷跡(東京女子医大)

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マーカーは東京女子医大です。

尾張徳川家中屋敷跡(東京女子医科大)
[東京女子医大病院の一部、あるいは月桂寺の並び、さらに旧・フジテレビのあったあたりは、もともと尾張徳川家の中屋敷があったところだ。中屋敷は、紀尾井町の上智大あたりにもあったのだが、ここも切絵図では中屋敷とされている。尾張中納言の上屋敷といえば、現在の市ヶ谷にある防衛庁の敷地をはみ出すほど広大だったが、そのすぐ傍らに中屋敷が、そして中屋敷の北側には戸山ヶ原のこれまた広大な下屋敷があったことになる。明治維新後、上屋敷は陸軍士官学校参謀本部に、紀尾井町の中屋敷は政府用地に、下屋敷は近衛騎兵連隊や射撃場・練兵場、陸軍戸山学校陸軍幼年学校などに接収され、市ヶ谷の中屋敷も一部が陸軍経理学校となり、尾張徳川家はこの狭い(といっても庶民から見れば広大だが)一画のみとなってしまった。そして、やがては東京市の郊外だった目白に引っ越してくることになる。  (「荷風が愛した「念仏段々」。[気になるエトセトラ]」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 大久保絵図」[絵図中央下付近・尾刕殿(尾張徳川家)中屋敷と描かれています。]

カメラ東北東方向が尾張徳川家中屋敷跡(東京女子医大)です。

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