尾張徳川家中屋敷跡(東京女子医大)

マーカーは東京女子医大です。

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尾張徳川家中屋敷跡(東京女子医科大)
[東京女子医大病院の一部、あるいは月桂寺の並び、さらに旧・フジテレビのあったあたりは、もともと尾張徳川家の中屋敷があったところだ。中屋敷は、紀尾井町の上智大あたりにもあったのだが、ここも切絵図では中屋敷とされている。尾張中納言の上屋敷といえば、現在の市ヶ谷にある防衛庁の敷地をはみ出すほど広大だったが、そのすぐ傍らに中屋敷が、そして中屋敷の北側には戸山ヶ原のこれまた広大な下屋敷があったことになる。明治維新後、上屋敷は陸軍士官学校参謀本部に、紀尾井町の中屋敷は政府用地に、下屋敷は近衛騎兵連隊や射撃場・練兵場、陸軍戸山学校陸軍幼年学校などに接収され、市ヶ谷の中屋敷も一部が陸軍経理学校となり、尾張徳川家はこの狭い(といっても庶民から見れば広大だが)一画のみとなってしまった。そして、やがては東京市の郊外だった目白に引っ越してくることになる。  (「荷風が愛した「念仏段々」。[気になるエトセトラ]」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 大久保絵図(嘉永七年・1854年)」[絵図中央下付近・尾刕殿(尾張徳川家)中屋敷と描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(コマ番号3/5・絵図中央左上、月桂寺下に尾張殿が尾張徳川家中屋敷です。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [16]拾九亨(嘉永五年・1852年)」(コマ番号6/7・絵図四つ切左上中央に尾張殿が描かれています。)

東京都立図書館アーカイブ – 東京市牛込区全図(出版年-1907)」(地図中央左下方向・陸軍省用地の文字「省用地」を囲む用地が尾張徳川家中屋敷跡になります。)

カメラ東北東方向が尾張徳川家中屋敷跡(東京女子医大)です。

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