山政醤油醸造所のレンガ塀

マーカーは山政醤油醸造所のレンガ塀です。

山政醤油醸造所のレンガ塀
[明治から大正にかけて、青梅街道沿いには多くの産業が栄えていたと言います。山政家は当時の中野の資産家で、この土地で醤油醸造所を営んでいました。広大な施設であったらしく、このレンガ塀の辺りから青梅街道を越えた桃園小学校辺りまで続いたと言われています。醸造所の創業は明治5(1872))年、このレンガの塀は明治32(1899)年に建てられたもの。セメントがなかった時代の初期の洋風レンガの構造物で、石灰や海藻、砂などで固める日本古来の漆喰の技術に、レンガを交互に重ねていくフランス積という工法を組み合わせたものとなっています。醤油の醸造は当時、味噌の醸造やそば粉の製造とともに中野の中心的な産業でした。中野で醤油が醸造されていたなんて不思議な気がしますが、中野近くの新青梅街道の西落合(新宿区)にはごま油の製造所跡もあり、当時はこのあたりはそういった食品産業の中心でした。当時の面影を想像しながら歩くのもまた楽しい中野散歩です。  (「平成26年2月 中野区都市政策推進室 都市観光推進担当 – p16]」より)]

山政醤油醸造所煉瓦塀 東京都中野区中央 – 墳丘からの眺め

やままさ醤油醸造所のレンガ塀 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向が山政醤油醸造所のレンガ塀です。