広瀬藩松平(越前)家下屋敷跡

マーカーは広瀬藩松平(越前)家下屋敷跡です。

関連リンク – 広瀬藩松平(越前)家上屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP917・コマ番号502/553から広瀬藩屋敷の変遷について記載されています。P919・コマ番号503/553「下屋敷 河田窪」がこの地になります。

松平直諒
[松平 直諒(まつだいら なおあき(なおよし))は、出雲広瀬藩第8代藩主・松平直寛の長男。
有能で、俳諧・絵画・書道を嗜むなど多趣味な人物で、歴代藩主のほとんどが江戸定府していたのに対して、直諒は嘉永3年(1850年)に父が死去して家督を継ぐと、ただちに国元に入って製糸業や製油業、和紙、鋳物、陶器、織物(広瀬絣)等の産業奨励、文化の奨励などを行い、領民に善政を敷いた名君であった。このため、領民も直諒を暖かく出迎えたという。文久元年(1861年)9月5日(異説として7月19日)に広瀬にて死去した。享年45。跡を弟の直巳が継いだ。
直諒の文化政策の遺構は、現在においても広瀬町(安来市)に現存している。ちなみに直諒だけが歴代で唯一、広瀬町に墓所が存在する。  (wikipedia・松平直諒より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 大久保絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図四つ切左下に松平佐渡守(松平直諒)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [16]拾九亨(嘉永五年・1852年)」(コマ番号4/7・絵図右下に松平佐渡守(松平直諒)下屋敷が描かれています。)

カメラ位置は新宿区河田町3丁目東側T字交差点で、カメラ西南西方向が広瀬藩松平(越前)家下屋敷跡になると思います。