マーカーは大隈庭園です。
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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP930・コマ番号509/553から彦根藩屋敷の変遷について記載されています。P932・コマ番号510/553「抱屋敷 高田」がこの地になります。
彦根藩井伊家下屋敷跡(元大隈重信邸)
[大隈庭園の地は、江戸時代、彦根藩・井伊家や高松藩・松平家の下屋敷だったところで、この土地を明治17年に大隈重信が購入し、ここに邸宅を構えました。庭園は、もとは和様四条家風のものでしたが、大隈は、それを好まず、山や谷、泉や塔を配し、明治期の京都で流行していた文人風の庭に改造させました。作者は佐々木可村という庭園師です。大隈重信が大正11年1月10日、85歳で没した後、本人の遺志によりこの庭園は早稲田大学に寄付され、以来、大隈会館の庭園として活用されてきました。戦災で全壊に近い被害を受けたが、戦後復旧されました。大隈講堂に向かって左手、大隈会館の入り口に建つこの建物は、かつては大隈家の馬丁小屋だったもので、現在は、文書課受付となっています。明治の中頃に建てられたこの建物は、早稲田のキャンパス内で最古のものになります。 (「大隈庭園 – 早稲田・高田馬場の歴史散策ガイド」)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 大久保絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図右上に井伊掃部頭下屋敷が描かれ、その左に移転前の水稲荷社が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [18]拾九利(嘉永五年・1852年)」(コマ番号6/7・絵図上中央右に井伊掃部部抱屋敷、抱地が描かれて、その右に観音寺が描かれています。)
「東京都立図書館アーカイブ – 東京府北豐島郡高田町豐多摩郡戸塚町(出版年-1920.9)」(地図四つ切右下の右端中央に大隈侯邸が描かれています。)
カメラ東北東方向が彦根藩井伊家下屋敷跡(大隈庭園)で、カメラ方向右が大隈会館で左が大隈家の馬丁小屋(文書課受付)です。
大隈庭園内のストリートビューです。