厳嶋神社(抜弁天)

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厳嶋神社(抜弁天)
[厳嶋神社(いつくしまじんじゃ)は、東京都新宿区余丁町にある神社である。市杵島姫命仏教弁才天習合)。新宿山の手七福神のうちの弁財天を祀る。通称 抜弁天(ぬけべんてん)。
応徳3年(1086年)源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083~1087)で奥州平定に向かう途中ここに宿営した。 この地はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、この時、義家も遠く富士山を望み、さらにその先、安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願した。そして義家は奥州平定を成し遂げ、その帰途、戦勝のお礼のためこの地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられる。義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、また境内参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」ともいわれ、江戸の六弁天に数えられる。江戸時代には稲荷神社もあり、徳川綱吉による生類憐れみの令により付近に野犬のための2万5千坪の犬小屋が設置されていた。
厳嶋神社(抜弁天)・wikipedia-photo  (wikipedia・厳嶋神社 (新宿区)より)]

[抜弁天は今はもう地名のようになってしまったが、その昔は源義家が祈願した厳島神社があった。この近くを旧鎌倉街道が通っていたために源義家の伝説があるのだといわれる。境内が南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜くための弁天社、いわゆる抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天、山の手七福神の一つに数えられた。神社付近一帯は、江戸時代の犬小屋跡である。5代将軍徳川綱吉は天和2年(1682)に世継の徳川徳松を亡くした悲しみから、貞享2年(1685)以降、数回にわたり生類憐れみの令を出した。元禄8年(1695)には中野に16万坪、大久保に25,000坪の犬小屋を設けて野犬を収容した。同年10月には42,000匹に達したという。(「抜弁天 (厳嶋神社) | 一般社団法人新宿観光振興協会」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 大久保絵図」[絵図左上中央付近に別当二尊院 抜弁天と描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [16]拾九亨」(コマ番号3/7・地図中央上方向に稲荷辨天両社別當二尊院と描かれています。)

厳島神社抜弁天 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が抜弁天です。

抜弁天境内のカメラです。