放生寺

マーカーは放生寺です。

放生寺
[放生寺(ほうじょうじ)は東京都新宿区西早稲田二丁目にある高野山真言宗準別格本山の寺院である。山号は光松山(こうしょうざん)。本尊聖観世音菩薩で、「江戸三十三箇所」の第15番、「御府内八十八箇所」の第30番である。1641年(寛永18年)に穴八幡宮(高田八幡)の別当寺として同神社の隣に創建された。寺号が示す通り「放生会」(ほうじょうえ)で知られ、虫封じの利益(りやく)もあるとされる。創建当時は穴八幡の境内に放生池があったが、明治期の神仏分離により池は放生寺の管轄となり、その後1920年代に埋め立てられてしまった。現在は本堂脇の池が放生会に使われる。第二次世界大戦により中断してから再開まで約40年の空白があり、伝統の多くが失われてしまったが、毎年体育の日に行われる放生会には多くの参拝客が訪れている。
境内入口 (2015年12月撮影)・wikipedia-photo

本堂・wikipedia-photo

  (wikipedeia・放生寺_(新宿区)より)]
 
[放生寺は江戸時代(寛永十八年頃)に、現在も隣に位置する「穴八幡宮」の別当寺として開創されました。当時境内には湧き水をためた放生池があり、毎年の「放生会」の日は多くの参詣客でにぎわったといいます。その後も放生寺に引き継がれてきましたが、1920年代に池は埋められて戦争のため中止に。40年近く経ってから再開され、現在は毎年10月10日に行われています。本堂での法要後、鯉の稚魚を本堂脇の池へと放魚しています。穴八幡宮と同寺の境目にあたる崖には、阿弥陀如来像出現の伝説のあるほら穴があったと言われています。このほら穴は、江戸城に続いており、万一のときにはこの穴を通って城外へ脱出するためのものだという言い伝えが残されています。  (放生寺 – 新宿観光振興協会より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 大久保絵図」(絵図右上・戸山尾刕殿(尾張徳川家)下屋敷の右方向に放生寺と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [16]拾九亨」(コマ番号5/7・地図中央左に穴八幡社地別當放生寺と描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「高田八幡宮其二」(11-53)
高田八幡宮其二(拡大図)

[図会右ページ、左ページ上に穴八幡宮、下に別当(放生寺)が描かれています。]

放生寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が放生寺参道です。

放生寺本堂前のカメラです。

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