東福寺

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マーカーは東福寺です。

東福寺
[東福寺は中野区江古田にある。江戸御府内八十八箇所霊場の第2番目の札所です。元の札所は、新宿区余丁町にある抜弁天、正確には厳島神社の別当寺であった二尊院だったのですが、明治神仏分離で廃寺となったために、札所は東福寺に移されたとのこと。弘安3年(1280)の創建で、本尊不動明王弘法大師の手になるものだという。山門を入った左側には「徳川将軍御膳跡」の大きな石碑がある。三代将軍家光が、中野に鷹狩にやってきた折り、休息したと伝わっている。また、八代将軍吉宗も江古田で鷹狩をして、東福寺で休息したという記録もあるそうです。  (「第2番東福寺 – Biglobe」より)]

徳川将軍御膳所跡
[当寺は、享保十三年(1728年)春、八代将軍吉宗が鷹狩のおり、御膳所となり休息と食事をしたところです。以前は、旧本堂の西側奥に、寺社奉行の命で改修した「御成りの間」がありましたが、建物が古くなったため、昭和四十二年改築のときとりこわされ、その跡に記念碑が立てられました。
 鷹狩は、飼いならした鷹を放って獲物を捕らえる狩猟法で、おもて向きは、将軍の遊びでしたが、幕府による江戸近郊の農業・治安の維持の役割を果たしていました。吉宗は、五代将軍綱吉のとき廃止された制度を復活し、中野など江戸近郊六か所の鷹場を指定しました。
 指定された村むらの農民たちは、鷹場役人に監督され、日常、野鳥の見張りや鷹場に使役されるほか、農作業や家の修理にいたるまであらゆる制裁を受けていました。
 将軍来遊のときの古い記録によれば、食事の準備から道路や橋の整備など、地元の人たちが大きな負担を強いられていたことがうかがえます。
  昭和五十七年二月   中野区教育委員会  (「徳川将軍御膳所跡(ごぜんしょあと) – Monumento(モニュメント)」より)]

金峰山 東福寺 – Google Map 画像リンク」、「徳川将軍御膳所跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が東福寺山門です。

東福寺本堂前のカメラです。

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