法善寺

マーカーは法善寺です。

法善寺
[日蓮宗の法善寺は、春時山と号し、日相上人(貞享4年寂)が創建しました。境内に安置してある七面明神は、池上本門寺に帰依していた鳥取城池田家四代綱清から献上されたもので、法華宗独特の七面信仰江戸進出の最初のものです。新宿山之手七福神寿老人です。
『法善寺の七面明神像
中正院日護上人(1580-1649)の作と伝えられる像高約30cmの木彫立像で、唐風の衣装をまとい宝冠をかぶり、左手に如意宝珠、右手に鍵を持つ。七面明神とは日蓮宗の守護神の一つであり、七面天女、七面大菩薩ともいう。「七面大明神縁起」によれば、13世紀末の建治年間、身延山中の日蓮上人の庵室に秀麗な婦人が法話を聴きに来たのでたずねると、自分は七面山の天女で、上人の説法を聴いて悪道の苦しみから逃れることができたことを告げ、未来永劫にわたり身延山を守ることを誓って立ち去ったという。華麗な彩色と、精緻な彫法による江戸時代の典型的な七面明神像であり、「七面様」と呼ばれ親しまれている。(新宿区教育委員会掲示より)』  (「猫のあしあと」より)]

[法善寺は「江戸名所図会」に七面大明神社とも、大久保七面宮として描かれている。七面明神とは日蓮宗の守護神の一つであり、七面天女、七面大菩薩ともいう。日蓮宗の総本山である身延山の北にある七面山に住む天女であるが、日蓮上人の説法により救われたことを徳とし、龍に姿を変えて身延山を守護した、と。江戸にいくつかある七面明神の中で最初に祀られたものである。「江戸名所図会」には奥に七面明神、手前に法善寺本堂が描かれている。法善寺は、もとは大森にあったとされるが、鳥取藩主池田伯耆守綱清の依頼により、身延山久遠寺から七面明神像をこの地に移し、七面堂を建てて安置。その後大森から法善寺が移ってきた、との説もある。 (「新宿区散歩その弐;市ヶ谷台地を辿り、大久保から北新宿へ」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 大久保絵図」(絵図左上中央付近に法善寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [14]拾九元」(コマ番号4/5・中央左下方向に法善寺年貢地が描かれています。)

「江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・大久保七面宮

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「大久保七面宮・解説は右ページ最終行から」(11-11)、「大久保七面宮解説-2・右ページ中程まで」(11-15)

法善寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が法善寺です。

法善寺本堂前のカメラです。