象小屋(象厩)の跡

マーカーは象小屋(象厩)の跡案内板です。

象小屋(象厩)の跡
[江戸名所図会(めいしょづえ)に「中野に象厩(きさや)を立ててそれを飼わせられし」と書かれている中野の象小屋は、このあたりにあったといわれています。
 当時、象は、まだ珍しい動物で、人々の好奇心をそそり、「象志」「馴象論」「馴象俗談」などの書物が出版され、また象にちなんだ調度品、双六(すごろく)や玩具類もさかんに作られました。
 中野に来た象は、享保十三年(一七二八)中国人貿易商鄭大威(ていたいい)が将軍吉宗に献上するため、ベトナムからつれて来たもので、途中、京都中御門天皇霊元法王の謁見(えっけん)を受け、江戸に着いて将軍吉宗が上覧したあと、しばらく浜御殿に飼われていました。のち、中野村の源助にさげわたされ、源助は、成願寺に近いこのあたりに象小屋を建てて飼育を続けましたが寛保二年(一七四二年)に病死しました。死後、皮は幕府に献上され牙一対(きばいっつい)は源助に与えられました。この牙は宝仙寺(現 中央二丁目)に保存され、戦災にあいましたが、その一部がいまも残っています。
  昭和五十八年三月    中野区教育委員会]

【中野の歴史5-3】 やってきました中野だゾウ | 中野の歴史 | まち歩き | 」、「紙芝居・江戸に象が来た – 東部区民活動センター運営委員会

象小屋跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向に象小屋(象厩)の跡案内板があります。