マーカーは追分公園です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
追分
[青梅街道から斜めに北に入り中野通りにつながる道は、かつて大きな道の分かれるところを指す「追分」の地名で呼ばれていました。
現在の追分公園の前の道は、江戸時代には石神井道(所沢道)と呼ばれ、青梅街道からここで分かれて北上し鷺宮で現在の新青梅街道と合流する、江戸と西郊の村々をつなぐ道でした。幅2間(約3.6m)の道に、野菜や肥料を積んだ荷車が行き交い、追分は人々で賑わいました。明治以降は近辺に映画館なども建ち、繁華街ができました。
杉並区の高井戸からこの追分へ出てさらに板橋へ至る中世の古道、鎌倉街道があったとする江戸時代の文献もあり、この辺りが古くから交通の要衝の地であったことが窺われます。
所在地 中野区中央4-7(追分公園内・表示板所在地)
アクセス 東京メトロ丸ノ内線「新中野」駅から徒歩2分 (「追分 | まち歩き | 中野区都市観光サイト まるっと中野」より)]
[所沢道は中野区本町の鍋屋横丁付近(東京メトロ丸ノ内線新中野駅付近)で青梅街道から北西へ分岐し、しばらく行くと南から合流した中野通り(Google Maps)となる。北上して中野五差路交差点(Google Maps)からは、中野駅南口へ直通する道ではなく、その一本西側の坂道を入る。北上するとJR中央線の線路に突き当たり(Google Maps)、現在ではここで一旦中断する。JR中央線の北側、杉並区高円寺北一丁目付近(Google Maps)から道が再開し、環七通り大和陸橋付近(Google Maps)に達する。 (wikipedia・所沢道より)]
カメラ位置は追分公園前で、カメラ西南西方向塀前に追分表示板があります。