マーカーは野方警察署前の辻地蔵です。
野方警察署前の辻地蔵
[東京警察病院と野方警察署は北側で早稲田通りに面していて、早稲田通りを渡った場所の辻にお地蔵さんがありました。このお地蔵さんの右側には、おそらく『寛保元 辛酉 年三月 願主浄念』と書かれています。
寛保元年は1741年なのでちょうど江戸時代の中期辺りです。左側には『沼袋村新橋念仏講中』と書かれていました。
このお地蔵さんの左には道しるべと思われる、石柱があるのですが字体が崩されたもので、私ではなかなか判読できません。二番目の字だけ『方』と読めるので、野方に関係するものかとは思うのですが、、、
お地蔵さんの右側には、長辺に北、短辺に東、と彫られた 石がごろりと置かれています。おそらくこれは以前使われていたお地蔵さんの台座と思われます。 (「野方のお地蔵さん :雲が流れる如く:So-netブログ」より)]
[現在、野方警察署の前は、野方方面からの道と早稲田通りが交差するT字路になっている。しかし、昔は十字路だったようである。中には、消えた道の先を現在の平和公園通りと考える方もいるようだが、それでは道しるべと合わない。野方警察署前より北へ伸びる道が鷺宮へ向かう古道だった道で、中野追分とを結んでいたのである。それを裏付けると思われるものが、この交差点にある。お地蔵様である。
現在では子育地蔵としてだけでなく、交通安全のお地蔵様としても祀られ、毎年供養が行われている。元々のお地蔵様は、等身大の大きさだったらしい。このお地蔵様にまつわる話は省略するが、小さくなってしまったのには理由があるそうだ。
等身大だった頃の石台と思われるものが、お地蔵様に向かって右に置かれている。石に文字が彫ってある(画像リンク)のが見えるだろうか?
「東」「北」と面に彫ってある。見えない面にも、「西」「南」とあるという。お地蔵様は、辻地蔵として行き先を示す役割があったことがうかがえる。
また、お地蔵様に向かって左には道しるべが立っている。
上の写真(画像リンク)には、「高田」と地名がある。
下の写真(画像リンク)には、「中野 宝仙寺」とある。
早稲田通りも、元々は古い官道という。「高田」というのは、高田馬場の高田と見ていいだろう。「宝仙寺」は、青梅街道沿いにあるお寺である。つまり、ここから青梅街道に至る道が存在していたことを指すと考えていい。 (「私の街 ~中野追分から鷺宮へ ② 風吹く丘の大きな緑の木/ウェブリブログ」より)]
カメラ西南西方向が野方警察署前の辻地蔵です。